
突然、自分が何者なのかがわからなくなってしまった?
何がしたくて、どこへ行きたいのか?
自分とは、どんな存在で、どんな価値を見出しているのか?
そんな悩みを抱え込んでしまって、悪循環から抜け出せないでいるのなら、これから紹介するいくつかの情報をヒントに、再び自分の足で歩いてみましょう。
自分とは一体何者なのか?
考えれば考えるほど、自分が何者なのかの答えが見えなくなってくる。
ここに、大きなヒントが転がっています。
自分という存在は、不確定な物であって、その不確定なもの全てをひっくるめて、自分として存在します。
つまり、自分というのは実体がなく、その実態がないものが存在するといった、二つの矛盾する要素を合わせもった状態のまま存在しているのが自分です。
これが、禅の世界や、スピリチュアルな世界で気づきとされる、「全てでひとつ、ひとつが全て」というものであって、「自分=世界の全て」「世界の全て=自分」というわけです。
自分とは、固定されているひとつの「何か」であるという概念から抜け出さなければ、この真実に気づくことが出来ません。
別の例えの場合、自分とは、「他人の集合体」でもあって、時間軸も超えると、どんな時でも自分は自分でしかなく、過去も未来も全ての自分としての存在は、変化しながらも全てが自分であるということ。
知っている自分や、知らない自分があるだけで、外界と接することによって、私たちは自分の輪郭を始めて知ることができます。
人は個別に「自分」というものを持っていることになっていますが、不特定多数の社会の中での存在としての答えよりも、自分を中心とした世界を円を描くようにイメージすることによって、自分はわかりやすくなります。
そもそも何者なのか見出す必要がない
「自分が何者なのか?」の悩みを抱えてしまった場合、沢山の情報に触れ、色んな世界へ飛び込み、それでもわからないのであれば、限界まで悩み続けるといいでしょう。
ずっとずっと悩んだ先に、その答えは待っています。
そうです、「考えたところで何の意味もない」という答えに気づきます。
そもそも、なぜ「自分」をひとつの答えに確定させようとしているのかということです。
生きていれば、様々な経験をして、成長して体も変化していき、周囲の状況も常に変化し続けます。
日本古来より、「諸行無常」という言葉があります。
世界は、宇宙は常に変化をし続けて、エネルギーが循環し続けています。
そして、人間はその流れの一部の中にいます。
昨日の自分と今日の自分、ついさっきの自分と、今この瞬間の自分も違う自分として存在しています。
ただ、常にひとつだけ永遠に固定されている答えがあるとすれば、それは「今、ここ」にいる自分という存在のみです。
そして、その瞬間が連続し続けているのが時間の正体です。
この、絶え間なく変化し続けている世界の中で、宇宙の法則の中で、ひとつの固定された「自分」という存在があるはずがありません。
小学生の頃、母親に甘えていた頃だって、それはその時の自分でしたよね?
数年前に必死で頑張っていた頃だって、その時の自分です。
数時間前、会社で働いていた時も、それがその時の自分で、今は家に帰って考えている自分がいます。
人は、今を生き続けることしか出来ませんので、自分なんてものは変化し続けるのが当たり前で、固定されている限られた「自分」としての答えなんて、そもそも存在しないのです。
どうして悩んでしまうのか?
それでも、悩んでしまうし、そんな自分も嫌でさらに落ち込んでしまう。
自分とはなんなのか?を考え始めてしまうと、理屈ではわかっていても、とても苦しい状態になって抜け出せなくなります。
ただ、ここでさらに気づいてほしいことは、どうして自分が「自分が何者なのかわからない」ということについて悩んでいるのか?ということです。
どこかから聞こえてくるはずです。
「そんなんどうでもよくね?」
確かにそうなのですが、ここへ訪れて、ここまであなたが読み進めているということは、それすらもわかっていながらも、抜け出せないから困っているということなのでしょう。
では、なぜ悩んでしまっているのでしょうか?
それはおそらく、上でも書いたように固定された答えが存在すると思っている、ということもあるでしょうが、他者との関係の中に価値を見出し、そこに居続けなければならないと思っているからではないでしょうか。
社会の中で、置いていかれないように。
みんなは趣味を楽しんでいるのに、私には何もない。
誰もが頑張っている中で、私は十分にやれているのだろうか?
休日に何もやることがなくて困っている。
色んな事が、頭の中をかけめぐって、思考を混乱させていると思われます。
悩む原因も、もちろんあなたの中に存在します。
そこには、見たくない自分の姿もあるかもしれませんが、その自分と向き合わなければ、抜け出すことは出来ないでしょう。
それも自分の一部として存在していますので、自分を知っていくしかありません。
誰かと比較したり、嫉妬したり、勝ち誇ったり、価値に優劣をつけたり。
それらを全て決定づけているのも、自分です。
休日に何もしていないことが、価値がないわけではありません。
休日に、誰かとドライブをして、おいしいランチを食べて、SNSへアップして、ぐっすり眠ることが、価値が高いわけでもありません。
何もせずにただボーっとしていることだって、それほどに贅沢な時間はないのですから、意味なんて考えるだけ時間の無駄です。
自分が何者かについて悩む原因は、あなた自身が「自分は何者かがはっきりしていなければいけない」と思っているだけに過ぎないのです。
いかがですか?
悩みたければ、限界まで悩むといいでしょう。
ただ、早めに切り上げなければ、大切な残りの人生を「考える」という行為で消耗してしまうことになるだけです。
意味なんてあってないようなもの
自分という存在には、特にこれといった答えなどありません。
あるとすれば、「それが私」ということのみです。
何か固定した答えがあることがいいことのように思えて、これらの悩みを抱えますが、その答えが実は逆で、自分という存在は、固定された何かではなくて、無限の存在であるということに気づくことが、自我の目覚めであって、自分を確立させるものというパラドックスとなっています。
そして、全てが自分であって、自分が全てであるということを忘れずに生きることで、悩むことはなくなります。
「私はこんな人」「私はこういうタイプ」「こんな性格」
そういった認識を固定したほうが安心できるために、そこに落ち着こうとしますが、それはあくまで思い込みであって、それ以外の自分もいくらでも存在します。
ただ、何かの役を決めて、そういった自分を演じることによって、都合が良かったり、楽に生きられるために、キャラ設定をして演じ続けますが、それは本当の自分ではないはずです。
人は何にでもなれますし、どんなことでも出来ます。
答えを自分で決めて、固定してしまうことは、楽なことにも感じられますが、生きる世界を狭くしてしまうことにもつながってしまいます。
自分なんて、定まっている存在ではありませんし、いくらでも変幻自在に変わっていくもので、自由な存在なのです。
これが「好き」とか「嫌だ」とかはあるものの、別にそこに特定の条件や、共通した答えがあるわけでもありません。
今日はラーメンが食べたい気分だから食べよう。
昨日の夜は、カレーライスでしたよね?
次の日には、胃腸の負担を気にしてサラダのみかもしれません。
そこに意味なんてないですよね?
食べたいと思ったから、それを食べる。
面白そうだからやってみて、疲れたから辞めて、気づいたら寝てた。
人生なんてそんなもので、自分なんて存在も、所詮はそんなものです。
人間なんて、実に曖昧な存在であって、一貫した答えは、「食べる」「寝る」「遊ぶ」くらいのものしかないのです。
そこに意味を見出そうとするから、苦しくなってしまうのです。
自分を知りたければ、何もせずに息だけして、ボーッと座ってたらいいんです。
そのうち、のどが渇いて飲み物を探し出します。
トイレに行きたくなって、用を足します。
お腹が空いてきて、何を食べようかと考え始めます。
意味がありますか?
そこに、「自分は○○だ」という答えがありますか?
あるのは、自分は自分だ、といった程度でしょう。
生きていればいいんです。
意味なんて考えなくていいんです。
自分探しなんてしなくていいんです。
やりたいことをやって、行きたいところへ行って。
何もしたくなければ何もせずに過ごして。
今日も一日生きてたな。
で、おしまいです。
最後に
いかがだったでしょうか?
「自分が何者かわからなくなった」という悩みを、少しでも解消できたでしょうか?
結局のところ、考えたいのであれば、限界まで考え続けてみたらいいと思います。
何もしていなくたって、何かをしていたって、あなたの価値は変わらないんです。
悩んで、苦しんでしまうのは、あなたが「どちらかが価値があって、どちらかが価値がない」という優劣をつけているからではないでしょうか?
悩みというものは、「どちらが正解か?」ということを考えることによって発生します。
それらの選択は、どちらも正解であって、どちらも正解ではありません。
選択というものは、選んで進まない限りは、何の意味も持たないからです。
「どちらが正解か?」を考え続けるのではなくて、「どうしたいか?」のみで進まなければ、一向に答えは出ることはないからです。
外側で飛び交っている情報、他人のアドバイスは、どれもあなたの答えではありません。
もちろん、その中から何かを選んで掴み取ると、それはあなたの答えとなります。
あなたが決めて、あなたが行動する。
これで全てが解決します。
答えは全て、あなたの中に存在してるはずです。
そのあなたの心の声に従って、あなたがあなたを動かしてあげれば、もう悩むことも考えることもなくなるでしょう。