生きて行く中で学ぶことは沢山ありますが、人生で最後の答えとなるものは、「愛」というものです。
その「愛」は、一体どこにあるのでしょうか?
ずっとずっと、探し求めていた答え、願っていた世界、欲しがっていた愛は、全てを手放した時に、あなたの前に現れます。
生きて行く中で学ぶことは沢山ありますが、人生で最後の答えとなるものは、「愛」というものです。
その「愛」は、一体どこにあるのでしょうか?
ずっとずっと、探し求めていた答え、願っていた世界、欲しがっていた愛は、全てを手放した時に、あなたの前に現れます。
今、やりたいこと、やらなければいけないことがあるのなら、それを楽しむことによって、楽に幸せに乗り切ることが可能になります。
苦難や試練は、それを苦しいことだと思い込むことによって、自分が苦しむことになっているだけです。
起こる全てを「楽しむ」というスキルを身につけてしまえば、どんなことでも楽しくやり過ごすことが可能になります。
他人のせい、環境のせいだと感じてしまうのが、私たち人間の意識の罠と言えます。
不快なこと、嫌なこと、苦しいこと、辛いこと。
楽しいこと、嬉しいこと、幸せなこと、心地のいいこと。
これらが存在していて、感じているのは、他の誰かのせいなのでしょうか?
起こる出来事を、他人や環境のせいにするのではなく、主体的に考えて行動していくことによって、それが自分の成長へとつながっていきます。
自らが成長することによって、取り巻く状況の流れは変化していくものなので、主体的な動きが人生を大きく変えていく唯一の手段です。
ただ、ここでどうしても考えてしまうことは、「主体的な行動」がどういうものなのかということになります。
ここでは、外的要因によって振り回されているのか、自分の意思によって行動しているのかを、もう一度見つめ直していくために、「主体的」という認識について、私なりの考えを書き残してみます。
私たちがこの世界で生きて行くために必要な力とは、一体どんな力なのでしょうか?
勉強?練習?作法?技術?
もちろん、全ては基本動作から始まるため、基本をマスターすることは大切なことです。
しかし、力や技術などをどれだけ身につけても、その努力はどこかで頭打ちとなります。
そこから問われる力が、真の意味での生きる力というものです。