列を乱すこと、集団から外れること、場の空気を換えることを嫌がるといった風潮が、日本にはあります。
誰がそうしているわけでもなく、見えない空気感、一種の同調圧力のようなものがどこでも働いています。
これらに屈したり、過剰に反応してしまうと、他人と揉めたり、うつになったりします。
ですが、そういった一定数のアンチは必ずいるもの、だからこそ、あえて嫌われる、孤立する道を選んでいると思えば、気が楽になるはずです。
周囲を気にして、いつまでも自分らしく生きられないことは、人生を失っているのと同じです。
日本社会は、なぜそうまでして、ひとつのルールで縛りたがり、何か変わったことをすれば批判をするのかは理解が出来ませんが、おそらく批判をする方たちは自分が幸せでないだけなのでしょう。
こうしたことは、どこへ行ってもあることなので、慣れてしまったほうが賢明です。
自分が不幸であることを、自分の責任と感じられずに、それを他者へと投影させて、批判、誹謗中傷などでいためつけ、そこでストレスを発散しています。
こういったことを日常的に行っている人たちは、「自分は正しいことを言っている」と本気で思っていますので、どうしようもありません。
因果応報と言われるように、「明日は我が身」なのですが、そのことすら知らない、まだ経験の浅い人たちですので、無駄に相手にする必要もなく、傷つく必要もないのです。
あえて孤独を選択しろ
何をやったとしても、必ずアンチが現れて、猛烈に批判します。
そのことを、行動する前から覚悟の上でいれば、ダメージは小さく済みます。
むしろ、叩かれることを選んで進むということが、自分らしく生きる強さを与えてくれます。
バッシングや批判は、全て僻みでしかなく、他者の邪魔をしようとするネガティブエネルギーでしかありませんので、それらを上手く自分の力にしていきましょう。
不特定多数の中に、目立たずに溶け込むことよりも、あえて孤独を選んで生きたほうが、圧倒的に人生は楽しくなります。
楽しければ、孤独だっていいですし、批判しかしない仲間なら必要ありません。
とにかく、人生を楽しくしていくために、自分一人になっても進むべきです。
その先に、また新たな世界がまっていると思えば、怖くはありません。
他人の言うことなど意味はありませんし、他人の評価など気にする必要はないのです。
孤独になることを覚悟し、人生を楽しむ選択をしてみましょう。
自分の人生は結局は孤独
人間は、一人で生まれて一人で死んでいきます。
もちろん、家族に見守られている状況はありますが、自分自身のことへ意識を向ければ、やはり一人です。
いつでもどこでも、自分の人生を生きているのは、自分一人なはずです。
そこに、他の誰も介入することは出来ません。
とやかく言われる筋合いはありませんし、自分の人生には関係ありません。
孤独であることは当たり前で、孤独だからこそ、人と触れ合うことのありがたみ、その温かさを知ることができます。
一人だからと言って、好き放題に生きて、自分勝手に振舞えばいいということではありません。
孤独になって、一人になってみると、必ずわかることがあります。
家族がいること、寝る場所があること、働けること、体が動くこと、目が見えること、その全てが奇跡であり、ありがたいものだと気づけます。
そして、それらを理解するからこそ、そこからの人生、生き方は大きく変わっていくものです。
大切な命を、人生という貴重な時間を、一体なんのために使うのか?
どうでもいい人たちに振り回されず、自分の人生を生きて行きましょう。
自分で決めて自分で行動しろ
「自分で決めて自分で行動する」
「そんなの当たり前だろ」と思われるかもしれませんが、果たしてこれをどれだけの人が出来ているでしょうか?
何をするにしても、「そう言われたから」「あの人が言っていたから」「怒られたくないから」「叩かれるから」といった言葉が言い訳になってはいませんか?
それらは全て、自分自身で「やらない理由」を見つけ出し、その「誰か」のせいにしておけばやらなくて済む、といった安心感の中にひたっていることでしょう。
そのほうが無難かもしれませんが、本当にやりたいことをやらずに生きて、後悔はしないでしょうか?
また、その安全な道を歩いている以上は、危険でも自分らしく生きている人、目立つ人たとうぃみて、批判をしたりすることは出来ません。
それも同じことで、「安全なところにいる」というのも自分の決定と行動ですので、飛び出す人たちのことをとやかく言う必要はないのです。
誰もがみな、「自分で決めて自分で行動する」という認識のもとで動いているとすれば、他人のことなどは気にならなくなるはずです。
生きたいように生きろ
日本で、誹謗中傷による諸問題が膨らむ原因は、既に明らかです。
それらを禁止、規制したり、その人物を特定して罰を与えても意味がありません。
これらの問題がなくならないのは、その「制裁すればいい」「禁止すればいい」といった間違った考えによって、飽和してしまった結果と言えます。
罰を与えること、禁止することによって、一時的に見えなくなる、その世界からいなくなることによって、問題が治まったと勘違いするのが日本人です。
根本の原因はそこではありませんし、禁止や制裁では、真の問題解決へは至らないでしょう。
むしろ、逆効果であって、ストレスがふくれあがってあちこちから滲み出す現象が起こります。
それが現状の日本とも言えるでしょう。
この、日本人全体が抱えている問題は、どこで解決するのかと言えば、各個人個人、その生き方にしかありません。
人は、生きたいように生きて、やりたいことをやって、毎日が楽しく幸せな状態であれば、他人のことは気になりませんし、卑下したり傷つけたりはしません。
これが答えなのですが、このシンプルな答えになぜ誰も気が付かないのでしょうか?
私は、生きたいように生きていきます。
あなたも生きたいように生きて下さい。
それで全ては解決します。
私たち日本人は、我慢すること、頑張ることに固執しすぎたあまりに、別のカタチでストレスが表に出てきてしまっているだけではないでしょうか。
本当は、もっとルールを破って暴れて遊びたい。
本当は、こんな会社やめて自由に暮らしたい。
本当は、面倒な結婚生活はやめて、沢山の異性と遊びたい。
本当は、本当は・・・。
そういった、出来ない自分への悔しさか、本当の自分に気づき始めているのか。
とても多くの人たちが、「幸せになりたい」と悲鳴をあげているのではないでしょうか。
だからといって、他人を変えること、コントロールすることは出来ません。
やることはただひとつ、私は私の人生を思いっきり楽しむだけ。
誰に何を言われようとも、気にすることはありません。
たとえ一人になったとしても、人生の最後の日まで楽しみ尽くします。
そして、あなたもあなたの人生を楽しんでほしいのです。
幸せになってほしいのです。
誰もが、他人のせいにせずに幸せになることを選択すれば、あらゆる問題は消えていくのではないでしょうか。
あなたがこれからやることもひとつだけです。
あなたらしく、あなたの人生を生きるだけ。
やりたいことをやってい、生きたいように生きてみましょう。
そうすれば、毎日はきっと素晴らしいものになるはずです。