いつも苦しく、辛いことばかり。
あなたは少し、真面目に頑張りすぎたのかもしれません。
人生を楽しくしたいのなら、もっと適当に生きてみるのはどうでしょうか?
結局は、生きて行くことは楽しくなければ意味がありません。
我慢、忍耐、努力、根性、頑張る。
なぜこれが、日本で崇拝される、美徳とされるようになったのでしょうか?
本来は、幸せになるために、頑張るも何もないはずなのですが、どうして誰もが苦しい生き方を選ぶのでしょうか?
頑張る中毒
長い間、苦しいことに耐えて、頑張った先で得た結果に感動する。
確かにそういった世界もあります。
何かを達成したくて、夢に向かって努力することは素晴らしいことですし、見事に努力が実った時には、涙するほど感動することでしょう。
そのことは、誰でも理解はしています。
しかし、生きている全員がそのようにして生きるべき、というわけではありません。
一度そのような達成感と感動を味わった人たちは、それを伝えたくて、思いが溢れることもあるでしょう。
だからといって、それを誰かに強要するのは少し違う気がします。
「頑張って結果を勝ち取る」というプロセスは、一度は苦しみを与えて、それに耐えきった後にご褒美を準備する、といった段階があり、体験した人は、誰もが与えられたご褒美に感動します。
これらには、中毒性がり、少し危険なものではないかと考えます。
乱暴に振舞ったり、急に優しくなったりと、極端な状況を作ることによって、離れられなくするといったDVがあることはご存じでしょう。
それと同じで、頑張る中毒になってしまうと、それだけが「生きる術」と勘違いしやすいですので、とても危険なものではないかと思っています。
厳しい修行を積むと、その後の食事や睡眠など、生活のありがたみを感じられる。
高い山を、足の痛みに耐えながら登り、山頂へ辿り着いた時には、そこから見る景色に感動する。
何もそれらが間違っているわけではありませんが、私生活でわざわざこの波を作るために、頑張る世界へ自ら飛び込む必要はないような気がします。
元気な時には頑張ったらいい
「頑張る」という表現がとても難しいものなのですが、「耐える」ような頑張りではなく、「楽しめる」ような頑張りなら、どんどん挑戦するべきだと思います。
心と体が元気な状態で、やりたいことを見つけて頑張ったらいいんです。
いつも「頑張っているべき」「努力するべき」ということはありません。
必ず休む時は必要ですし、一度やめてみて、離れてみることによって、「もう一度挑戦してみようかな」という意欲が湧いてくるものです。
いつも休まずに、ただ我武者羅に頑張り続けると、自分の心と体を破壊するだけでなく、いずれは周囲の人たちも傷つけることになり、思う結果は得られなくなるでしょう。
楽しいことに挑戦し、上を目指して頑張っていく。
誰もが喜ぶ世界を目指して、小さな努力を積み重ねていく。
そのためにも、休むこと、楽しむことはとても重要な要素です。
「頑張る」だけが素晴らしいことではないということは、理解しておくべきです。
必ず結果はついてくる
何かのパフォーマンスを評価する時、血のにじむような努力で表現されたもの、楽しく幸せにやりながら表現したもの。
どちらが良い結果を得ることができるでしょうか。
ほとんどの世界では、後者となるはずです。
数字として、結果として同じ表現をしていたとしても、前者には危険を感じ、後者には温かみを感じるのが人間です。
無理をして、何かを犠牲にして出した結果は、その時は良かったとしても、最終的にそれが「幸せか?」と問われると、難しくなってくるでしょう。
また、そういった結果の出し方は、一時的なものが多く、長続きはしません。
結果というのは、そこに向ける心の思い、エネルギーが最も重要で、それが最後に表現されるものですので、「どんな気持ちで挑むか?」は大きく結果へ影響してしまうものです。
人は、誰もが幸せになることだけを目指していますので、まずは自分自身が幸せで在ることが大前提にあります。
そこから、幸せを分け与える結果が出せるようになり、その輪は大きく膨らんでいきます。
適当に楽しく生きよう
真面目になってしまう人、必死に頑張ってしまう人。
気持ちは理解できますが、それをやっていることの真意、本当の目的が自分で理解できているかどうかです。
誰が言ったかはわからないけれど、「そうしなければいけないから」当たり前のこと。
「あいつを見返してやるために、絶対に勝って潰してやる」
「恥をかくのは嫌だから、何がなんでも通らなきゃいけない」
誰もがなりがちな精神状態ですが、残念ながら、これらの意思を持っていると良い結果はえられません。
全て、他人ありきであって、他人の人生を生きています。
自分がどうしたくて、どうなっていきたいのか?
何が幸せで、どうやって楽しんで生きて行くのか?
自分自身が幸せを理解していなければ、何度やっても同じです。
もっと適当でも、いいかげんに生きても、何も問題はないはずです。
それが許されない理由があるとすれば、完璧主義であったり、プライドが高かったり、他者との優劣を気にしていたりするのかもしれません。
だらけたって問題ありません。
サボったって別に構いません。
ほったらかしててもなんとかなります。
誰かに頼めばやってくれます。
それなりに生きてたら、それなりに楽しくやれます。
適当でいいんです。
楽に生きればいいのです。
幸せになるための簡単な方法は、一生懸命生きない、頑張らないことです。