結局は、自分が生きたいように生きられないのは誰のせいでもなく、自分のせいです。
めんどくさいと言いながら、そのめんどくさいことをやっているのは自分なわけであって、ありのままで生きることを制限しているのは自分だからです。
てことで、ここから先の人生では、私が「めんどくさい」と判定したことはやめていってみようと思います。
「めんどくさいことをやめる」と聞くと、怠惰と思われがちですが、これは人生でとても重要な要素だと私は思っています。
例えば、甘えられることをめんどくさがる人もいれば、甘えられることを嬉しいと感じる人もいます。
掃除が面倒だと思う人もいれば、掃除は楽しいことだと感じる人もいます。
これらは、それぞれが楽しみながら生きて行くために必須の食い違いで、このギャップがあるからこそ互いに補完し合い、支え合っているのだと私は思っています。
実際に、今でも結構面倒なことはやめてしまったのですが、問題なく楽に人生は進んでおります。
何がめんどくさいかと言えば、食器洗いや洗濯、などの家事の一部です。
私は、それなりの年齢のためにそれくらいはやって当たり前と言われそうですが、長年頑張って来た末に、とてつもなくめんどくさいと感じるようになったのです。
「やらなきゃいけないな~」と思いつつも、いつも家事は後回し。
そうこうしているうちに、どうなったかと言えば。
それを見かねた両親が、毎日のようにやってくれるようになりました。
そして、ここからが面白いところですが、両親はなんだかんだ言いながらも、私がやり残している家事を片付けることが嫌いではないようです。
というよりは、むしろそのほうが満たされるようです。
これは、「トップギバー」のお話でも書いた通り、抵抗体験を与える、価値を与えるといったギブになるため、それでいいということになります。
やるのが嫌な人がいて、やってあげたい人がいて、そこで互いにWINWINの関係が自然発生します。
これを体験したことによって、私の心は「別にやらなくてもいいんだ」と安堵しました。
それまでは、誰に言われたわけでもないのに「私がやらなければ」「こんなことではダメだ」といつも自分で自分を追い込んでしまっていました。
早い話が、自分を高く見積もっていた、かっこつけていたのでしょうね。
私だって人間です。
めんどくさいものはめんどくさいですし、誰かやってくれるなら任せるに越したことはないのですね。
結局は、「人に任せることが出来ない」という人は、人を信頼しておらず、自分に過信して、全てを自分でやらなければ気が済まないという気持ちがあるはずです。
それが最終的に自分を苦しめているとも知らず、どこかで破綻しちゃうんですね。
中途半端に大人になった頃は、「人に頼らない」「人に甘えない」ということが大人になることだと思ってしまいます。
ですが、あるタイミングからは、本当の大人は「人に上手く甘えられる人」だと気づきます。
なんでも一人で頑張って、一人で抱え込んで、何もかもをやろうとすると、それがかえって人に迷惑をかけてしまうんですね。
「人に迷惑をかけてはいけない」と踏ん張ってしまう人ほど迷惑。
「甘えてはいけない」という思い込みで頑張る人が、一番甘えている。
この逆説に気づくことが、本当の意味で大人になるということなのでしょうね。
自律とは、自分一人で立っていることではなく、自分一人では立ってはいられないことに気づくということなのでしょう。
自分の力で頑張ることは、傲慢で甘え。
これがなかなかわからないんですよね。
話はかなり逸れたように思えますが、結局は「めんどくさいことはやめる」にもつながってくると私は思ったからです。
私自身が、やりたいことをやらずに我慢をして、めんどくさいことに耐えて生きるよりも、生きたいように生きて、やりたいことだけをやっていることが、私も幸せであり、周囲の人たちも幸せにするのだろうなと思ったからです。
誰かのために頑張ることは素晴らしくても、それが自分の幸せだと思えなければ意味がありません。
それが我慢なのであれば、誰かのための「誰か」には愛は届かない気がするのです。
追い求めるべき理想のカタチは、「私は幸せ」、そして「あなたも幸せ」というものです。
そのためにも、私はめんどくさいことを少しずつやめようと思います。
そして、やりたいことをどんどんやっていこうと思います。
私は、私が楽しいと思えることが出来たらそれでいい。
だから、他の人たちも、楽しいと感じているのならそれでいいと思っています。
正しいことなどないのですから、みんなでやりたいことをやって、やりたくないことはやめていいと思います。
「そんなことをしたら大変なことになる」「誰も仕事をしなくなる」と思うかもしれませんが、私はそうはならないと思います。
仕事をしたい人、賃金をもらわなくても貢献したい人、ただ人の喜びのために尽くしたい人は必ずいます。
そういった人たちが、休みたい人たちを支えます。
長い間休んでいた人たちは、暇になってくると働きたくなります。
それまで表舞台で働いた人は、休みたくなってきます。
そこで人々はチェンジします。
この循環は留まることはないはずですので、ずっと続くと私は思っています。
こうして、全ての人たちが流動的に動きながら、めんどくさいことせずに済み、やりたいことだけをやっていられるようになると私は思っています。
ということで、めんどくさいことはどんどんやめていってみようと思っています。
ちょうど新たな年を迎える時期ですし、私は私の人生を楽しく出来るように毎日を過ごしてみたいと思っています。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。