三日坊主という強み

私は何かを始めても、いつも続けることが出来なくて、そのうち忘れていってしまうほどです。

周囲はいつも私に振り回され、迷惑をかけているかもと思ったりもします。

ですが、やっぱりあまり深く考えるのはやめました。

これが私なのですから、それでいいかなと思いながら生きてみたいのが本音です。

私は昔から、「〇〇がやりたい」「〇〇へ行ってみたい」と言いながらも、すぐにやめてしまうか、ひどい時には直前になって「やっぱやめた」ということもあります。

わかりやすく言えば、周囲を振り回す「気分屋」というわけです。

この性質は、どれだけ怒られても、注意を受けても治りません。

本当に忘れてしまっていることもあれば、飽きてしまってどうでもよくなったりもします。

「その時はそういう気分だった」「でも今はそうではない」ということが頻繁に起こり、私の中での真実であるがために、何を言われてもどうしようもないのが事実なのです。

「気分屋」による強み

一時は、「自分がおかしいのかな」と落ち込んだりもしました。

何をやっても続かない「ダメな奴」とバカにされ、自分の都合で行動を変えてしまうことから「社会不適合者」と言われたこともあります。

確かに、まわりの人たちを見ると、それでもきちんと続けていて、社会に順応していく人たちが多いために、自分を比較してしまって悩むこともありました。

けど、やっぱり思うことは、「心の声」みたいなものはどうしようもありませんし、「気分屋」と言われても、「私の勝手じゃん」としか感じません。

「気分屋」であることは、まるでダメみたいに、短所であるかのように言われてしまいますが、「じゃあ続くことだけがいいことなの?」「我慢してでも続けることが素晴らしいの?」という疑問に明確な答えが出せるでしょうか?

私が考えてみて思ったことは、短所でも弱点でも、それは解釈の仕方によって長所にもなり強みにもなるということ。

結局は、「我慢して続けている」人にとっては、すぐに渡り歩いていくような私の姿を見て、羨ましいのではないでしょうか。

「すぐ飽きる」「すぐやめる」はダメなように聞こえるかもしれませんが、「気分屋」の私は、何かを始める時のフットワークの軽さだけは自信が持てます。

「もう少し考えろよ」と言われることもありますが、それらは全て結果論。

後先考えずにすぐに動き出すことのできる私の「気分屋的な行動」は、やはり強みになるなと思いなおしました。

他人を気にしない強み

色々な失敗が続き、他人から責められたり批判されたり。

そういったことが続くと、「やっぱり私の行動がいけないのかな」「もう少し考えてからやろう」と思ったこともありましたが、最終的にはその「誰かの言ったこと」を気にしないほうがいいなと思いました。

他人のこと、他人からの評価は気にするのをやめて、思いついたことをすぐにやってみる。

飽きたらあっさりと辞めて、楽しくなくなったらもうやらない。

私はこれでいいのではないかなと、最近はつくづく感じております。

どうして、他人のために貴重な時間を捧げ続けなければいけないのでしょうか?

誰かに尽くすことは、幸福度と直結するのは確かですが、それは自分が「尽くしたい」「喜んでもらいたい」と思う相手だけで十分です。

それらの時間は、自らの意思で動いていますので、とても楽しい時間となります。

それ以外の、誰かからの評価は気にするだけ無駄だなと思います。

やっぱり、「ダメ」と言われたとしても、やりたいことをやったほうが、人生は圧倒的に楽しいように思います。

三日坊主という強み

新しい何かを始めるには、何かをやめなければいけません。

「やってみたい」と思うことをやってみて、続かなくたって別にいいんです。

楽しくなくなって、やめてしまった時には、必ず悪評がつきますが、それは私には関係のないことだったりします。

初めから、他人の評価のために始めたことではないのですから、何も気にはなりません。

すぐにやめたっていいんです。

三日坊主でいいんです。

始めてみてから、「思ってたのと違う」なんてことは沢山あります。

むしろ、そういったことのほうが多いような気がします。

本当にやりたいことってそんなに簡単に見つからないものですし、続けられることっていうのもそんなにない気がするのです。

たまたま、誰かがやっていて、続けているのを見て、そういった人たちと自分を比べてしまうから、つい落ち込んだりもします。

でも、私は三日坊主でいいと思っています。

すぐに切り替えられて、次の新しいことへどんどん挑戦していけることは、とても素晴らしい強みです。

「やめる」という勇気がないと、次へは進めません。

「手放す勇気」が持てない人は、結局は何にもチャレンジできずに終わるのではないのかなとも思います。

「楽しくないからやめる」は人間にとって普通のことなのだから、素直に行動していけばいいじゃないでしょうか。

それでいいんです

結局のところ、生き方に答えなんかないんですよね。

正解も不正解もないし、良い悪いもない。

失敗とか成功とかも、ただ単に「自分の思う結果」が得られたかどうかで後から言っているだけです。

全部正解だし、全部成功だと私は思っています。

やりたいことをやっていく人生なら、それだけで十分に価値のある時間を過ごしていると思います。

「あの人がこんなことしてた」「あんなことしていけないと思う」

別にいいじゃないですか。

私には関係のないことですし、それはあなたにも関係のないことです。

誰か何をしたって自由ですし、自分が楽しい人生を生きていればそれでいいんです。

他人の人生を生きるのではなく、自分だけの幸せな時間、楽しい時間を積み重ねていれば、それでいいのではないかと私は思います。

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