いつも一生懸命に頑張ることは、とても素晴らしいことです。
それが、とても楽しいことで、疲れも喜びになるのであれば、それは続けるべきでしょう。
ただ、何でも真面目にやればいいというわけではなく、「それやってて楽しいか?」の問いかけに黙ってしまうようなら、それは方向性を変えたほうがいいでしょう。
自分一人で「頑張っているつもり」の「それ」はもしかしたら危険なものかもしれませんよ?
適当に生きている人のほうが楽しそうで、真面目にやっている人ほどいつも辛そう。
そう感じることがあるのではないでしょうか?
これは、ひとつの正解です。
真面目であればいい、正しいものは正しい、とだけ認識して、まわりを見ずにひたすら自分だけで頑張っていくのは、少し人生で損をしているかもしれませんよ?
正義ならいいわけではない
「自分はいつも正しいことをやっている」ということに自信を持ち、胸を張って生きることは素晴らしいことです。
しかし、正義は時に危険なものへと変貌します。
真面目に頑張って来たあなた。
「やっていない奴は悪」「だから君たちもきちんとやれ」「もっとこうあるべきだ」
そんな考えが少しでも自分の中にあるのなら、あなたは危ないかもしれない。
「みんなやってんだから〇〇しなさい」
「社会の常識なんだから〇〇するくらい当たり前だろ」
そんな風に、誰かを指導する、教育するという大義名分のもとに、正義をふりかざしているのなら、あなたの存在は決定されています。
あなたは、ただの「ウザい奴」でしかありません。
「そんなはずはない」「私は間違ってはいない」
と、どれだけ吠えたところで同じです。
いつでもどこでも、真面目に几帳面に正義を守り、正論を振りかざしている人というのは、ただの「ウザい奴」で終わりです。
例え誰かが言うことを聞いていたとしても、それはあなたが認められたわけでもなければ、あなたが正しかったという結果でもありません。
めんどくさいからそうしているだけです。
正義を振りかざすことは、それが正しいことであったとしても、周囲をつまらない空気に変えてしまうだけのものです。
楽しむことが大切
正しさは、何もかもを面白くない方向へと導きます。
様々なルールや規律、社会的な常識や法律を覚え、賢くなった気になるかもしれません。
だからといって、それをあちこちで言っているようでは、あなたは「ウザい奴」であり、「面白くない人」「一緒にいたくない人」となります。
それは、普通に考えれば理解できることのはずです。
例えば、友達同士でバーベキューをしようという話題が出たとします。
「いいね!」
「今週末とかどお?」
「あ、いけるわ!場所とかどうする?」
といった流れで盛り上がっているとします。
そこで、真面目なあなたは「やるんならきちんとした場所で、消防に届け出をして・・・・そこは地主さんの許可を得て・・・法的には何時までに切り上げるべきで・・・」とアレコレを言い出したとします。
それらは確かに全てが正しいことであり、もちろん守るべきルールもあります。
ですが、そういったことをつらつらと言い続けると、あなたは次からは呼んではもらえないでしょう。
もしかしたら、既にあなたの知らないところで沢山遊んでいるかもしれませんね。
そういうことなのです。
正しさばかりを並べ立てるのではなくて、大切にしなければいけないのは、楽しさのほうなのです。
なんとかなるんだから適当でいい
何かを始める前から、正しさだけに沿っていたら、結局は何も出来なくなってしまいます。
「これがこうで・・・でもこれがダメだから・・・こうしたとしてもまだあれが・・・」
楽しむことが上手な人は、そんなことを考える前に既に事は終わっています。
ある程度は適当に考えて行動しても、あとからどうにでもなるので、あまり正しさだけに囚われないほうがより楽しめます。
大抵のことは、本当になんとかなりますので、楽しそうだと思ったことはさっさと行動してしまえばいいのです。
誰かに迷惑をかけてしまったとしても、誠意をもって誤ればわかってくれます。
少しくらい失敗したとしても、それなりに楽しければ、気にはなりません。
いつも、全てを正しい道として進もうとすれば、行動はかなり制限されてしまうでしょう。
不法侵入だのと言っていれば、鬼ごっこもかくれんぼもできません。
密漁だと言ってしまえば、釣りや素潜りも出来ません。
落ちている物をたまたま拾ったり、山にある野花を持ち帰ると窃盗だと言われると、何も出来ませんね。
地球温暖化に影響があるからと言って、げっぷやおならを我慢する?
いずれは息をすることも制限するのでしょうか?
そんなことは、どうでもいいですよね。
結局は、楽しければそれでいいんですから、もっと適当でいいんです。
とにかく適当に生きろ!
完璧なんて追い求めても無駄です。
どこまで行っても完成することはありませんし、やるだけ苦しくなります。
真面目に生きたって、やりたいことを我慢したり、嫌なことに耐えて頑張っていても、それだけで人生が終わってしまいます。
「それが正しいこと」とあなたは思い込み、それだけを信じてきたかもしれませんが、あなた自身は本当はどう思っているのでしょうか?
そこが最も重要なところです。
正しさだけを守り、正義を掲げ、正論だけで他人を動かしてきたかもしれません。
だから何なのですか?
一体あなたは何がしたいのですか?
他人を変えることは出来ませんし、都合よく支配してコントロールすることは出来ません。
ずっと上手くいっていたと思っていたかもしれませんが、支配されていたのは、実はあなたのほうなのです。
正義を振りかざす人は、どこへ行っても「ウザい奴」という扱いしかされず、「めんどくさい奴」としてあしらわれます。
空けて通されるというやつです。
言うことを聞いておかないと面倒なことになるので、ただあなたの言った通りにしているだけで、あとはみんな適当に生きています。
そこまで真面目には生きてはいません。
「楽しいですか?」
もっと適当に生きたほうが、楽に生きられるのではないでしょうか?
適当に生きましょう。
真面目なんてやめて、「真面目なフリ」だけしていればそれでいいのです。
人生は楽しむためのものなのですから、あなたは本当のあなたで生きるべきです。
正義の鎧を脱ぎ捨てて、ありのままで生きることをおススメします。