「書きたいように書けばいい」と私は思った

「読まれる文章」を追い求めてみても、やっぱりどこか違和感を感じてしまう。

PVが伸びなければ「面白くないのかな?」と悩んだり、「自分語りは面白くない」「主観で書くと押し付けがましい」などといった意見があるために、書くことに躊躇してしまうものです。

ですが、私はやっぱりどれだけ考えても「書きたいことを書く」に徹するべきだと思いました。

誰もが表現をしたがる今の世の中では、バッシングを受けることはもう慣れてしまってもいいんじゃないかなと思っております。

「聞き上手が好かれる」「傾聴することが大切」という教えが多くありますが、それは世の中にはとても多くの「話したい人」「聞いて欲しい人」がいることを意味します。

そこで疑問に感じることは、「聞くことが大切」とは言ってみても、みんなが聞き手に回ったらどうなるのでしょうか?

結局のところ、生きている人たちは全員が「言いたい人」「話したい人」「表現をしたい人」なのではないかなと思っています。

そのバランスをとるために、「相手が話している時はきちんと聞きましょう」というマナーがあるだけであって、誰でも自分が話したい、話を聞いてもらいたいのではないでしょうか?

「表現したい」という欲求があるのは当たり前のことで、人間であるならば生きている限りはそれが普通のこととも言えます。

面白ろければ笑いますし、悲しければ泣きます。

嫌なら逃げますし、楽しそうなら近づきます。

これらは全て「人の表現」なのであって、みんな自分のことを知ってほしいし分かってほしいもの。

だからこそ、「書きたいことを書く」のは人間としてごく普通のことなのではないかなと思いました。

反応は気にしない

誹謗中傷はエスカレートしていて、いつでもどこでも一定数のアンチは存在します。

それらが書き手の価値を決めるわけではないので、気にしなくていいかなと思っています。

ネットと言えども、今ではとても多くの人たちが過ごす空間となっているため、互いに気持ちの良いコミュニケーションをとるのが最低限のマナーです。

それがわからない人は、リアルの世界の人間関係でもきっと上手くはいっていないでしょう。

誰かが何かをすれば、「自演乙」「リア充アピール乙」などといった気持ちで人の話を聞いているのだとすると、ゾッとしますね。

誰かが楽しんでいること、幸せそうにしていることを素直に喜び、応援することが出来ないのですから、悲しい方たちです。

何かを発信する時には、反応はある程度は気にするかもしれませんが、あくまで「こんないいことあったよ」「これやると楽しいよ」ということを伝えたくて、その喜びをシェアしていこうという気持ちで発しているため、一緒に楽しめる人たちだけ大切にしていけたらそれでいいのかなと思います。

どんどん発信していこう

誹謗中傷を怖れて、発信することをやめてしまう人も数多くおられるのではないでしょうか?

それでも、めげずに楽しいこと、幸せなことは発信してほしいですね。

私も、出来る限りは「書きたいことを書く」ということに徹したいと思うので、気にせず楽しい世界を創っていけたらなと思っています。

発信すること、表現することを制限されてしまうと、人はとても苦しくなってしまうものです。

伝えたいこと、知ってほしいことがあるのなら、どんどん発信していくべきです。

過去に、私もひどく傷ついて、自分として生きること、自分らしさを表現することをやめてしまった時期がありましたが、やっぱりその生き方はとても苦しいものでした。

「他人は変えられないから自分を変えよう」という言葉は、確かにその通りなのですが、これにもちょうどいい線引きというものがある気がします。

「自分を変える」というのもとても難しいもので、自分の気持ちを押し殺して、違う何者かになろうと努力はするけど、それはかなりのストレスを感じますし、心身ともにかなり疲弊していきます。

さらに、「自分を変える」に徹していくと、結局は「自分らしく生きる」へ辿り着きます。

「自分を変える」ということは、何も自分自身の価値観を捨てて他人に染まれという意味ではなく、自己表現の仕方を変えるだけでいいのかもしれませんね。

楽しくないと意味がない

読者やユーザーが好む形に沿って発信しようとすると、かなりの制限がつきます。

また、それをやっているうちに「誰かの好みの自分」、「大衆が喜ぶ自分」を演じなければいけないために、楽しさはどんどん失われていきます。

芸能人などが大きなストレスを抱えてしまう原因と似ていますね。

冒頭にも書いたように、人間は結局は自分が話したい、聞いて欲しい、表現をして受け入れられたいという欲求があるのは誰でも同じです。

それがあるのが当たり前であり、それが人と人とのコミュニケーションとなります。

互いに相手の好みに合わせるようなスタンスをとれば、それはとても気持ちの悪い関係になるのではないでしょうか?

話すこと、聞くこと、書くこと、読むことは全てが楽しくなければ意味がありません。

読まれる記事、バスを狙うためにセオリー通りの手法を使い、SEOばかりを意識した記事を書くのは、「文章を書きたい」という人には苦行にしかなりません。

SEOを攻略することが楽しい人には、そのノウハウがぴったりはまっていると思います。

ですが、「発信したい人」「見て欲しい、読んでほしい人」「伝えたい人」は、書きたいことを書くのが楽しいのですから、やっぱり楽しみながら文章を展開していったほうが、自分の満足度はあがり、読み手もそれなりに楽しめるようになっていく気がします。

情報提供は専門家に任せよう

私もずいぶんと記事を執筆していき、一時期はデータベース的なブログも展開していました。

もちろん、グーグルがそういったコンテンツを好むため、調べてはまとめ、書いてみて、読んでみて、修正して、書き直して、また調べて、ということを繰り返し作業のようにおこなっていました。

こうなってくると、もう仕事となってしまい、単なる作業量勝負になるのです。

「暇な人」が圧倒的に有利な手法ですので、成果は出にくいうえに、速度的においつけません。

また、率直な感想として、ものすごく疲れます。

書きたいことは書けませんし、膨大な時間とエネルギーを使うので、とてつもなく疲れるんですね。

で、あるタイミングで気づきました。

「これは無理だな」

って、諦めましたね。

そういった世界の情報勝負は、もう専門の人たちだけでいいかなと思いました。

もちろん、グーグルも結局は精度の高い記事を求めていますので、素人が調べた情報よりも、専門家の記事が好まれるのは当然とも言えます。

昔は、スキマからのおこぼれをもらえるくらいにライバルは少なかったので、適当な記事でもそれなりのアクセスが見込めました。

しかし、結局はネット社会の人口は増えていき、様々な形でふるいにかけられて、情報提供する記事は素人には手が出せない世界となってしまったのです。

こうなることを、グーグルも予想はしていたのかもしれませんね。

淘汰されてきたネットの世界で、無理なジャンルで戦うのはやめて、好きなことを発信していった方が、自分としても楽しめるかなと思い始めました。

みなさん自信を持って投稿しよう

ネットの世界が怖くて、委縮してしまっているみなさん。

アンチは気にすることはありませんよ。

楽しいこと、嬉しかったこと、幸せだと感じたことは、どんどん発信していきましょう。

私個人としては、そういった発信がこれからは需要が高いと思っています。

「ネットの世界は怖い」「病んだ人たちの集まり」といったイメージを消し去るには、ハッピーな投稿の割合を増やしていき、幸せな記事で染め直していくしかありません。

だからこそ、あなたの「楽しかった今日」の投稿が、とても大切な光となると私は思っています。

自信を持って投稿しましょう。

互いに「いいね」と言い合える世界を楽しみ、誰もが好きに表現していける世界を創りましょう。

どんなに小さなことでもいいので、日常の中から幸せを見つけていくことは、とても素敵なことです。

誰かが「くだらない」「つまらない」と言っても、あなたにとってそれが「楽しかった」「嬉しかった」「幸せなこと」であれば、私はそれでいいと思います。

媒体は、ブログでもSNSでも、手書きの作文でも小説でもなんでもいいと思います。

絵を書くのもいいですし、歌を歌うのもいいでしょう。

SNSの普及は、傷つけ合う世界を創ったのではなく、それぞれが自由に表現でき、発信しに、ともに喜びをシェアしていくためにあるものです。

今日もあなたの「楽しかった」の発信を、私は待っています。

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