頑張りすぎて、真面目になりすぎると、そんな自分に疲れたりしませんか?
適当に気楽に生きてみても、さほど問題はありませんし、そんほうが幸せだったりします。
わざわざ疲れること、苦しくなってしまうことを選ばなくても、もっと楽に生きられる道はあるはずです。
しなければいけないことは、さほど多くはありません。
別にやらなくてもいいことは、結構あります。
適当に生きてみても、それなりに人生は回っていくため、そんなに必死に頑張る必要はなかったりします。
適当に生きることのメリット
適当でいい加減に生きて行くことが、ダメになっていくと思われるかもしれませんが、その適当さにもきちんとメリットがあります。
これまでやっていたことは放り投げて、力を抜いて楽をすることを知れば、幸せは増すのではないでしょうか?
・性格が温和になる
適当になると、自分にも他人にも許せる幅が広くなるために、気が付いたら温和な性格になっています。
「まあそれくらいはいいだろう」ということが多くなり、重箱の隅をつつくような嫌味な面は消えていきます。
これが、意外にも周囲の好感度を上げてくれますので、人付き合いもスムーズになります。
・楽観的になる
真面目に頑張ってしまうのは、何かに怖れていたり、不安を払拭するためにやり続けてしまうものです。
しかし、ある程度の適当さを覚えて「まあどうにかなるだろう」と身構えていれば、何に対しても楽観的でいられます。
また、その根拠のない楽観主義的な姿勢が、余裕のあるポジティブな振る舞いにも見えるため、関わる人たちも不思議を安心感を覚えます。
・幸福度が上がる
幸せは、追いかけるほどに遠のいていく感覚になり、幸福度は永久に満たされません。
頑張ること、目指すことは素晴らしいことであっても、それらはないものを追いかける行為とも言えます。
適当なところでそれなりの結果に満足し、「まあこれでいいかな」と追いかけない、執着しなくなっていくことは、満足するラインが下がることによって、幸福度が高くなっていくことからです。
・人を惹きつける
適当な人間はダメ、と思われがちですが、意外にもそうでなかったりします。
真面目で優秀な人は、自分でこなす力が優れているために、あまり人が集まりません。
その分、適当でいい加減、出来損ないのように見えるけど楽しそうな人は、その人をサポートしたり、居心地の良さを感じたりといったことから、人が集まるようになります。
恋愛に関しても、デキる男性には女性が近寄りにくくなり、ダメ男ほど素敵な女性を惹きつけます。
適当な人間は、ダメと言われつつも「愛される要素」を持ち合わせているため、自然と人が寄ってくるのです。
適当な人ほど上手くいく
適当な人間は、なぜだかすぐに「社会不適合者」「ダメな奴」という称号を与えられてしまいます。
それでも、その適当さやいい加減さがあるからこそ愛される人間性ともなっています。
何もかもがメチャクチャで、周囲をいつも傷つけるような人はもちろんダメですが、いい加減だけど楽しくて居心地のいい人は、意外と上手くいくものだったりします。
真面目で優秀な人ほど、苦労が絶えなくて、関わる人にも恵まれなかったりもします。
この違いは、やはり「一緒にいて楽しいか」「一緒にいて安心できるか」「一緒にいて居心地がいいか」などが深く関係していると思います。
適当な人は、自分も他人もいつも許すのが当たり前で、良い悪いの概念をあまり持たないために、様々なジャンルの人と交わることが可能です。
今よりももっと楽しく、より幸せに、自分の人生を成功に導くために、頑張るのはやめて適当に生きてみる人生を始めてみるのもいいのではないでしょうか。