
ある時、ふと思いました。
先に何かを選り好みしてしまうと、「そのうち自分の世界は狭くなってしまうのではないか」と。
何でもやってきたように思えても、まだまだ未体験のことのほうが圧倒的に多いなと感じ、一度きりの人生で、これから「何を経験していくか」が自分の充足度に大きく影響するような気がしました。
わかったように思えても、私はまだ何もわかってはいません。
近年では、とても多くの情報が、ものすごい速度で流れていきます。
それらをかいつまんで、「知る」ということによって、満足してしまいがちですが、知っているのと「理解していること」「経験したこと」は圧倒的な差があるものです。
もはや、ここまで情報が共有されているのであれば、その「知っている」ということには、あまり価値がないようにも思えました。
それは誰でも知っているし、調べればすぐに分かることが大半となってしまいました。
私自身、ネットサーフィンで得た知識と情報を吸収すると、何故だかそれが自分のもののように感じてしまい、やってもいないのに理解した気になってしまうという錯覚はいつも起こします。
沢山の価値観に触れて、知っていくことはとても楽しいことですが、興味を持ったことは、自分の経験として取り込んだほうが、より楽しめるのではないかと思っています。
やってみると理解が深まる
知っただけで、分かった気になって語ると、「やってもいないのに偉そうな奴」の出来上がりです。
なんとなく想像が出来る、わかる気がするということはあるものですが、それは語れるほどのものとはなりません。
だからこそ、「とりあえずやってみる」が最も理解を深め、価値のある経験になるような気がします。
食わず嫌いにならず、選り好みをせず、やってみたら何かがわかると考えれば、不思議と好奇心が湧いてきたりします。
「よつめもん」さんの動画を見て、チャレンジする姿にとても感動しました。
とりあえずやってみて、ダメならまたやり直して、目的はよくわからなくても、トライアンドエラーで作業を進める姿は、とても魅力的です。
私も、こういった「怖いけど何かに突き動かされる」「理由もなくそうしていたい」という気持ちにはなるので、ものすごく理解できるものだったりします。
やってみるとわかることが沢山ありますし、次の課題が見えてきます。
とにかく、「前に進む」という感覚がとても嬉しくて、「とりあえず何でもやってみる」ことが自分を強くしてくれるような気がするのです。
失敗は初めから覚悟しておく
チャレンジ出来ない時には、必ず自分の中に何かしらの「不安」や「恐怖」があり、失敗することを怖れて行動が止まります。
確かに、後から「だから考えてやれよそこは」などとも言われますが、それは後出しジャンケンでしかないと思っているので気にしません。
事前にじっくり準備をして、対策を立ててからやったとしても、必ず何かは起こりますので、そういったことは予測の範疇としておいたほうが、ダメージは小さいかなと思っています。
失敗することが当たり前で、上手くいけばラッキーを思っていれば、怖くはありませんし、成功した時の喜びも大きくなります。
仮に何かが上手くいかなくても、失敗を認めさえすることが出来れば、特に問題はありません。
修正する、謝る、次は繰り返さないという意識を持っていれば、いくらでも挑戦できます。
挑戦を諦めてしまうと、何も楽しくなくなってしまうので、恥をかくこと、失敗することには慣れてしまったほうが楽な気がします。
思いつくことを全てやる
私は、大切なことは「直観」と「行動」だと認識しています。
失敗などは、何度もチャレンジし続けていき、分母を大きくしてしまえば、小さなものとなっていきます。
たった一度や二度の失敗など、ほんの些細なことにしか思えなくなるはずです。
そのためにも、思いつくことは全てやる。
とりあえず何でもやってみる。
出来る限りすぐにやる。
という意識を持って動けば、経験はどんどん重なっていき、トライアンドエラーには慣れてしまうような気がします。
やってみて、失敗して、修正して、課題をどんどんクリアすることで、自分は成長出来るのではないかなと思っています。
学習するということ
私自身が感じることは、やはり「経験」でしか学ぶことが出来ないということです。
知っていることは知識であって、理解は経験からしか生まれません。
また、出来上がった情報だけで、失敗を避けていった道から、クリエイティブな世界は生まれないような気もするからです。
「養老孟司」さんというお方が、学習について述べられています。
私も、全くこの通りだと感じ、色んな知識だけで判断し、通って来なかった道の多さは、後から大きな代償となって、私の人生に現れてきたからです。
失敗を恐れ、いつも安全な道だけを選び、知識だけを集めて、わかった気になっていました。
本当は、それらを深く理解したいという願望があったのですが、幼い頃からの刷り込みによって、「怖いこと」となってしまったことが多く、挑戦てこなかった、経験してこなかったことが沢山残されていました。
熱い物を触って、それは熱くて触ると火傷をし、傷があとから痛みます。
無理をしてはしゃいで転ぶと、ひざをすりむいて泣くこととなります。
これが学習であって、知識を蓄えることは予備知識を温存しているだけではないかなと思いました。
誰もが同じではありませんが、少なくとも私は、とにかく「経験すること」からしか学べないのだと感じたことによって、「とりあえず何でもやってみる」という意識が強く芽生えました。
世界はわからないことだらけ
人間は、色んなことを調べて検証し、文明を発達させることによって、楽しく暮らせています。
しかし、だからと言って、全てを理解したかのように傲り高ぶることは出来ません。
宇宙の謎は、次々を解明されてはきていますが、それでも9割近くは未だ謎のままです。
解明されたと思っていることですら、それは人間の作り出した仮説と解釈でしかないので、真実は「それ」として定義していることでしかないような気がします。
だからといって、聡明な学者さんたちを否定する意見を述べたいわけではなく、私たち人類は「わからないことだらけの世界」で生きているのだなと、私がそう感じているだけです。
わからないことのほうが多いこの宇宙の中で生きるのですから、失敗なんて恐れる必要はないかなと思うわけです。
やってみないとわからないですし、何がどうなるかなんて、誰もその答えは知らないのではないでしょうか。
私にはまだ、知らない世界のほうが圧倒的に多く、経験していないことのほうがはるかに多い。
だからこそ、「とりあえず何でもやってみる」しかないかなと思っています。
新しいことへの挑戦
どんなことでも、「継続すること」は後から大きな力を発揮します。
しかし、私は何故だかすぐに飽きてしまい、興味や情熱を失ったらやめてしまいます。
「何も続かない自分」に対して、ひどく落ち込んだりした時もありましたが、今はそれでいいかなと思っています。
他者から見ても、「ダメな奴」「いい加減な奴」と評価されることも多く、「社会不適合者だな」と直接言われたこともあります。
ですが、新しい体験をするためには、同じことを継続することは難しく、手放さなければ次へは進めません。
私は、「飽きてもいい」「続かなくてもいい」「やめてもいい」と自分を許すことにし、経験を積むためだけに、流れるように生きて行こうと思っています。
新しいことへの挑戦だけが、私をどこかへ連れて行ってくれるような、そんな気がするからです。
色んなことをやってみて、続くものは勝手に残っていくのでしょうし、そうでないものは忘れてしまう。
それは、ごく自然なことなのかなと思うと、失敗も成功も気にしなくていいのかなと思いました。
これから私は、どんなことに興味を持ち、挑戦し、どんな経験をしていくのかはわかりませんが、「とりあえずやってみる」ことだけは忘れないように生きてみようと思います。