
「幸せになりたい!」と誰もが毎日のように模索しています。
どうしたら、幸せになれるのでしょうか?
そのヒントを探り続け、あなただけの答えを見つけ出し、実行してみましょう。
私も、随分と長い間、「幸せ」を追い求め続けました。
そうした時間も、今思い出せば、全てが「幸せな時間」だったと感じています。
では、なぜ人は、「幸せになる方法」を探し、インターネットなどで検索したりするのでしょうか?
価値観に偏りがある
「幸せになる方法」という答えを、外側の世界に探し求めるということは、「〇〇でなければ幸せでない」という概念があることを意味しています。
それは、自分の中にある価値観に偏りがあり、「上手くいった」「楽しい」「幸せ」と感じるものと、そうでないものがハッキリと区切られてしまっています。
決してダメなことではなく、人はそうした自分の持っている価値観によって、意味のない不安感に襲われたり、幸福度が下がったりしてしまいます。
そこには、「〇〇であれば幸せ」という認識と同時に、「〇〇でなければ不幸」が隣り合わせになっているために、自分の中から謎の焦燥感のようなものが生まれることにあります。
期待が失望を生み出し、理想が挫折を感じる元となります。
どちらか一方にだけ、価値を見出してしまうと、そうでない場合に、無意味に心にダメージを受けることになります。
この、偏りによって、無意識のうちに比較をしているために、「自分が幸せでない」「私は不幸」「どうすれば幸せになれるのか?」という疑問へと発展してしまうのです。
幸せになるためにやること
「幸せになる方法」の答えは、実際に存在はしています。
それは、「自分で自分を幸せにする」ということ。
この意味が、私もずっとわからなかったのですが、自分を愛し、許し、満たすのです。
誰かに頼らずに、自分一人で幸せを感じられるようになることが、自立へとつながります。
私は、いつも誰かのせいにして、何かのせいにして、不幸である原因を外側に創り出し、甘えてばかりでいました。
ですが、結局は何かの言い訳をして、やりたいことをやらない自分がそこにいるだけでした。
「やりたいこと」は、いつでも何か持っているはずです。
それを、「なぜやらないのか?」を自分に問いかけた時に、やはり外側に「出来ない理由」を生み出してしまうものです。
それでも、他人の顔色などは伺わずに、自分を解放していくことが、真の幸福体質を手に出来るのだなと実感しました。
わりと、それは「当たり前」に出来ている人が多いのかもしれませんが、不幸を嘆くばかりの私は、その単純なことがずっと出来なかったのです。
「健康に良くない」とか、「してはいけない」、「するべきだ」などといった意見が、自分を縛りつけてしまいますが、大切なことは、自分が「そうしたい」という気持ちです。
食べたいものを食べ、寝たいだけ寝て、やりたいことを全部やっていく。
自分を幸せに導く方法は、今のところ私にはそれしか見当たりません。
どっちへ行っても幸せは同じ
「自分を自分で満たす」ということに成功し始めたら、幸せの感じ方に変化が起こります。
それまで、嫌だと思っていたこと、苦痛に感じていたことが、とてもありがたいものへと変化します。
自分を満たす、自分を愛していくことが下手で、それによって映し出された世界の外側を、いくら変えようとしても苦しいだけでした。
まず最初に、やりたいことをやって、自分の心を自分でしっかりと満たし、それから遭遇する出来事の結果への価値観は、「どっちでも同じ」という感覚が持てるようになります。
上手くいったら、「上手くいった!ラッキー」と喜べます。
失敗したら、「これはダメなのだとわかった」と次へ進めます。
価値観の偏りが減って、物事をニュートラルに、フラットに、バランスよく見ることが出来るようになります。
繰り返し、「自分を満たす」ということを積みかさね、それが上手くなってくると、自分のまわりには「良いこと」しか起こらないと理解できます。
結果がどうであろうが、それらは全てただの経験であり、そこで得た学びが積み重なり、それが幸せの種となります。
幸せは、「どちらか」ではなくて、「どちらでも幸せ」なのだという価値観を持てることそのものが、永久不滅な「幸福」を得たことになります。