これは、誰にでもある力を呼び覚ますためのもの。
求めるのではなく、欲しがるのでもなく、心で願いながら、与えていくことによって、自分だけの奇跡の物語が始まっていく。
その世界は、これまでとは全く違い、全てが光り輝いて見えることだろう。
苦しいかもしれない、辛いかもしれない、寂しいかもしれない。
でも、まだ「生きている」のだ。
心の中での対話は、いつも「本当にそうなのか?それでいいのか?」という疑問符で終わる。
生きている間、この与えられた貴重な生命を、何のために使うのだろうか。
人生で何がしたいのか
自分が生きていられる間に、自分が何がしたいのか。
「特にない」と答えるか、既にやりたいことは済ませているのかのどちらかだ。
そうこうしているうちに、残りの人生はどんどん短くなっていく。
それは、この世に誕生した瞬間から与えられた、この世界の変えられないルールだ。
目の前の、「今」という刹那の瞬間は、二度と戻ってくることなく、絶えずそこに「今」があり続ける。
議論したければすればいいし、悩みたければ悩めばいい。
考えていたいのなら、ずっと考えていればいい。
結局のところ、何もしないでいるのは、そうしていたい理由があり、それは「やりたくない」ことなのか、単純に疲れているからだと思われる。
そんな時は、無理に何かをしようとはせず、体を休めるべき時だろう。
自分を愛せ
人の生き方に、良い悪いはない。
ただ、どれを選ぶかだけによって決まる。
他人を裁く必要はなく、それと同時に自分を裁く必要もない。
それぞれの生き方があり、それで十分に人生は楽しくなる。
もっと自分を愛せ。
自分の人生を愛し、思う存分に遊び尽くせ。
誰かに何かを言われようとも、それは嫉妬や比較でしかなく、それを発する人こそが、自分の人生を愛せていないだけだ。
そんなことは気にする必要はない。
人生を面白く、楽しく、これまでに感じたことのない奇跡の出来事を感じたければ、自分の道を愛していくことだ。
それでいいんだ
自分で決め、自分で受け取り、自分の道を歩いていく。
「孤独」という幻想に惑わされるかもしれないが、怖れる必要はない。
「孤」になって、一人で歩くことが、「孤独」からの解放だ。
誰もがそうやって、自分の道を歩き、自分の道を愛することによって、共同体意識が生まれ、孤独ではなくなっていくのだ。
一人になることを怖れて、欲しがり求め続ければ、孤独感は増していき、より孤独になっていくだろう。
一人でいいのだ。
孤独でいいのだ。
人はもともと、一人で生まれて、一人で滅んでいくもの。
だが、そこには「愛」という絆で結ばれた人たちに、囲まれた情景がある。
それでも、この「愛」がどれだけ深かろうとも、人は共に同じ道を歩むことは出来ない。
ともに生まれて、ともに死ぬことはできないのだ。
これは、冷徹な意見ではなく、「孤独」を受け容れることによって、人の温かみを感じ、ありがたさを知り、「愛」の存在に気づくために、大切な孤立であって、それを「自立」と呼ぶ。
奇跡の物語を始める
ここからは、自分で自分の物語を創造していく手順だ。
全ては、小さな一点の光から始まる。
それは、宇宙の誕生と言われる「ビッグバン」と同じ、心の中にある宇宙の中心から爆発だ。
その中心にあるものが「愛」と言われる無限に湧き出るエネルギーの源泉。
与えよ。
差し出せ。
源泉から湧き出る力を感じ取り、それを形として、動きとして現わせ。
やることはそれだけで十分であり、そこから奇跡は始まる。
「愛」で満たし、溢れた「愛」を分け与えよ。
そうすれば、思い描いた物語が目の前で繰り広げられていく。
奇跡を起こすことは、とても簡単なことだ。
持っているものを与え、見返りを求めるな。
それは、どんな小さなものでも構わない。
他者が決めた価値、外側で決定される価値は関係ない。
差し出す形が「愛」であるならば、何でも構わない。
思い当たることは、必ずあるはずだ。
答えはもう、自分の中で決定されている。
それを与えれば、小さな奇跡が起こり始める。
そして、そこから先の未来は、驚くような奇跡の連続となるだろう。
「今」この瞬間から、あなたの奇跡の物語は始まった。