無敵のオーラを放つために

人には、独特の雰囲気、何もしなくてもそこにいるだけで空気感が変わる「オーラ」のようなものがあります。

自分自身が苦しんでしまう時には、この「オーラ」が小さくなり、弱まってしまっています。

そういった経験から、誰もが「強くなりたい」「無敵のオーラを手に入れたい」「神メンタルを掴みたい」と考え始めます。

では、この「神」的な「無敵状態」の自分になるためには、どうすればいいのでしょうか?

まず、その「無敵状態」と考えている、自分の理想の姿は一体どんなものなのか、イメージしてみるといいでしょう。

これは、自分の「嫌な状態」「嫌いな自分」からヒントが得られます。

そして、それを打開しようと、「強さ」を求めていくことが始まります。

鍛えても強くはならない

まずお伝えするべきことは、「メンタル」は鍛えても強くはならず、「オーラ」は変化しません。

それが、修行や苦行のような方法で鍛えていけば、むしろ「オーラ」は小さくなります。

ただ、一時的に強くなったように感じる、錯覚のようなことも起こりますので、挑戦してみるのもいいでしょう。

しかし、修行の先に待っているのは、「意味がない」という答えで、これが「悟り」「涅槃」と呼ばれるものです。

メンタルは、鍛えても強くはなりませんし、苦しいことがさらに増していく結果となります。

修行は、「我慢」や「忍耐」といった鍛錬であって、その行いで自分を満たすことが出来れば、効果は発揮されるでしょう。

無敵としての概念を決める

辛い出来事や、負けた悔しさから、「無敵のオーラ」「神メンタル」といったものを求め始めたのなら、まずその「無敵」としても意味、「強いメンタル」というものの概念の定義づけが重要になります。

見た目が強そうで、誰も寄せ付けない雰囲気が、「無敵のオーラ」でしょうか?

どんな苦しいことにも耐え、辛いことを全て引き受けられることが、「神メンタル」でしょうか?

実際に、その中心にあるメンタルを確立できれば、どちらも可能になります。

ですが、その苦行を実行し、我慢をして鍛えたとしても、変化は起こりません。

理想とする形は、「何を言われても平気」「どう思われても気にしない」「敵はいなくなる」という状態ではないでしょうか?

強さを誇張して、他を寄せ付けないという考えは、既に「敵がいる」という概念の上で成り立っています。

何でも引き受けてしまい、辛いことに耐える精神を持つというのは、「辛いことが多い」という概念の上で成り立っています。

真の意味での変化を起こすには、それらのさらに中核部、まず「それはない」もしくは、「自分には無関係」といった意識状態が重要になります。

自分で考え、自分で決める

真の意味での「無敵オーラ」「神メンタル」の状態になるためには、まずは自分を悩ませる、振り回す、自分の中にいる「他人」、その「誰か」を除外します。

その「誰か」が意識や思考の中にいる限り、支配され、振り回され、悩まされ、軸がブレ続けます。

何をやっても、どこへ行っても、誰と話しても、同じ状態で居続けることが、理想の状態を可能にします。

そのためには、ひとつひとつの決定事項や行動を、自分で決めて実行していくことからです。

いつも誰かに意見を聞いて、従ってみたり、反抗してみたりといったことを繰り返すことは、依存状態であり、オーラはいつも他者へ取り込まれ、自分だけのカラーは消えます。

それでも何も、自分にとって苦しさがなく、問題が起こらなければ、そのままでいいでしょう。

ですが、何かをキッカケに、その状態を脱却したい、自分が「無敵オーラ」を放ちたいと考えるようになったことが、自分を内面から変化させる一歩となったはずです。

これからは、自分を制限するものはないはずです。

あるとすれば、それは自分であり、「オーラ」を解放するか閉じたままでいるかは、自分によって決まります。

オーラを放つためにやること

「無敵オーラ」、「神メンタル」は苦労の末に手にするようなものではありません。

実に簡単なことで、一瞬にして変化を起こせます。

やることはたったひとつ。

「自分で自分を満たす」だけです。

具体的には、「食べたいものを食べる」「やりたいことやる」がそれにあたります。

たったこれだけです。

「好きなことをする」という行動が、自分を「無敵」にしてくれます。

自分が幸せだと感じることへと、自分を導いてあげるだけです。

何がどのように幸せに感じるかは、場面ごとに変わります。

ただ、忘れてはいけないことは、いつも「自分の心」に従って動いていくことです。

「無敵オーラ」の答えは、強そうで威圧的な雰囲気ではなく、「幸せな空気感」です。

「神メンタル」の答えは、耐える精神力ではなく、「感じない状態」です。

いつもご機嫌で、幸せそうに生きている人は、不快なこと、嫌なことなどは気にしないどころか、感じることも出来ずに気づいてもいません。

自分で自分を満たし、いつも自分の幸せを維持することが上手な人は、ネガティブなものは見えず、聞こえず、ネガティブなパワーは何もせずとも跳ね返っていく結界を張れます。

心と体が常に満たされた状態で、自分が「幸せで在る」という状態の人には、どれだけ怒鳴り、罵倒しても、何を言っているのか理解が出来ません。

悪口や誹謗中傷をされていたとしても、それは聞こえませんし、見えません。

どれだけ「めでたい奴」とバカにされても、何も感じることはありません。

その人の中では、常に幸せな世界が展開されているため、周囲で起こることが全て無効になっていくのです。

これが、「無敵のオーラ」「神メンタル」を確立している状態です。

世界が変わっていく

自分の幸せを、自分で生み出し、維持していくことが出来れば、強く見せることや、耐えることに力を使う必要がなくなります。

とても小さなエネルギーで、世界を一瞬で変えられます。

これまでに悩まされてきた、不快な出来事や発言も、聞こえなくなります。

たとえ耳に入ったとしても、それはただの「言葉」としてどこかへ飛んでいってしまいます。

自分の持つ「無敵オーラ」の前では、はじき返されていくのです。

「神メンタル」で耐えていくのではなく、そこに苦痛などは感じなくなっていきます。

自分の中にある、「楽しい」「幸せ」「嬉しい」といった感情が消えない限り、そのオーラがあらゆるものから自分を守ってくれます。

そして、周囲の人たちの自分への接し方は変わっていき、何も問題は起こらなくなります。

「自分で自分を満たす」ことだけで、世界は見違えるほど変化するのです。

最後に

いかがだったでしょうか?

もしかしたら、「強くなりたい」という一心で、これまで多くの努力をされてきたのかもしれませんね。

それでも、決して無駄ではなく、とても貴重な経験で、人生という記録に残せる大きな財産です。

「頑張る」「我慢する」といった根性論では、真の強さには到達できないと、私は感じました。

同じような経験をして、同じ感覚を持ったのなら、その通りだと思われます。

「悟り」と呼ばれた、何か神がかったような境地、気づきはとても単純なものだったと言われています。

少し大げさかもしれませんが、強くるために修行をしようと滝に打たれ続け、その先で見出した答えは「寒いだけ」といったようなところです。

楽しくやれる努力なら、いくらでも続けられるものです。

好きなことなら、「頑張る」という意識もなく、時間を忘れて取り組みます。

めんどくさくなってきたら、人はそれをやめていきます。

これらの「自分らしさ」によって決めて、行動することが、「何も気にしない」「気にならない」「毎日が楽しい」という自分を作ってくれるものです。

そしてそのライフスタイルが、その人の空気感を作り、独特の「オーラ」のようなものを無意識的にまとい、放つようになっていくでしょう。

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