主体的に生きるとはどういうことか

起こる出来事を、他人や環境のせいにするのではなく、主体的に考えて行動していくことによって、それが自分の成長へとつながっていきます。

自らが成長することによって、取り巻く状況の流れは変化していくものなので、主体的な動きが人生を大きく変えていく唯一の手段です。

ただ、ここでどうしても考えてしまうことは、「主体的な行動」がどういうものなのかということになります。

ここでは、外的要因によって振り回されているのか、自分の意思によって行動しているのかを、もう一度見つめ直していくために、「主体的」という認識について、私なりの考えを書き残してみます。

自分の行動が、主体的であるか反応的であるかをよく知っておくことは、これからの人生に大きく影響することは間違いありません。

誰しも、何らかの形で、外部からの影響を受けて、無意識のうちに行動をとってしまうもの。

ある程度行動を制限してみて、立ち止まってみて、自分の行動を再確認することによって、それが何に起因して動いているのかに気づくことが出来る。

自分を知り、気づき、理解することから始める

人間は、特に何も考えることなく行動しているのが普通のことであって、それが無意識レベル、潜在意識による動きとなっている。

どれだけ頭で考えても、言葉を変えて言ってみても、実際の動きが本当の自分を映し出している。

まずは、自分を知ること、そして気づくこと、そして理解することから全てが始まります。

過去の数カ月や数年間、今日という一日や、つい先ほどの行動でもいいので、自分の動きをよく観察してみよう。

それは、どうしてそうしていたのか。

何故それをしようと思って行動に移したのか。

その原動力となっている部分が、主体であるか反応であるかの答えとなっている。

反応による行動ばかりを積み重ねていれば、何もかもが他人や環境にせいになっていく。

主体による行動を積み重ねていけば、それなりの理由を述べることが出来るし、自信を持って繰り返すことも可能になる。

自信を失ってしまったり、誰かを責めたい気持ちになったりと、物事が上手くいかなっていく原因は、そのスタートの地点での原動力に違っていることが原因となっている。

何かがおかしいと感じ、違和感が消えないままでいるのなら、じっくりと自分の内面を掘り下げていき、「どうしてそれをするのか?」ということを明確にして、自分を知り、気づき、理解していく必要がある。

主体的な行動を積み重ねる

反応的な行動というのは、その決定権を他人に委ねたままで流されていく。

それとは違って、主体的な行動というのは、きちんとした明確な理由や信念が自分の中に存在し、誰に何を言われようとやめることはないし、誰に何を言われようとやろうとしないこともある。

反応というものは、決まって「恐怖」「不安」「怒り」などのネガティブパワーが原動力となっていて、ある一定の成果を得られたとしても、あまり楽しいものにはならない。

また、それなりの形にはなったとしても、周囲に輝きを放てるほどのパフォーマンスは発揮されない。

主体的な行動は、「楽しい」「嬉しい」などのポジティブパワーが循環するため、大きな力のスパイラルを生み出すことが可能になる。

この、主体的な行動を積み重ねていく時に、大切になってくることは、「大きなことをやろうとしない」ということ。

まだ見ぬ未来に夢を掲げて、胸を躍らせて生きることはとても重要な要素ではあっても、いきなりそれを掴み取ろうとすると、必ず元の位置へと引き戻されてしまう。

主体的な行動は、あくまで「今の自分に出来ること」の中からやっていくこと。

その小さな行動を重ねていくことで、出来上がった土台が大きな力となっていく。

自分の中にある「これがいい」や「これが好き」という気持ちを大切にして、自ら選び抜いていくことによって、人生のベクトルは変わっていく。

誰かに言われたからではなく、世間で正しいかどうかではなく、自分自身の感覚によって選択し、行動し、結果を受け取っていくことによって、人生そのものが主体的なものとなっていく。

自分の人生を生きる

誰かの言いなりになったり、決定権を他人に委ねてばかりいると、自分の人生は見えなくなっていく。

なぜそれをしているのか?

どうしてここにいるのか?

本当にこれがやりたいことなのか?

そんな疑問が生まれ始めたら、何かを変えるタイミングだと思っていい。

どこか、積み重ねてきた行動の中に、主体的ではなく、反応的なものが存在しているため、そこからもう一度やり直す必要がある。

自分の人生というのは、あくまで自分だけの物語でしかない。

その物語の主人公は、やはり自分でしかないのだ。

他人のアドバイスや忠告を聞くこともの、時には大切になってくる。

例えその通りにやってみて、失敗をしたとしても、それも他の誰かのせいにすることなどは出来ない。

他人に言われた通りにする、真似をしてみるといった選択をし、それを実行したのは紛れもなくやはり自分自身だからだ。

だからといって、自分の行動に「良い」「悪い」を決める必要はなく、誰も責めたりもしなくていい。

そもそも、生きるということ自体が、そういうものだからだ。

何度も失敗を繰り返し、傷だらけになりながら、やっと自立していけるもの。

それどころか、人生には失敗も成功もないのが真実でもある。

ただただ、「これをやると楽しい」「ここに行くと苦しい」「それをすると悲しい」「こうすると嬉しくなる」といった感覚があるだけで、それを辿っていくのが自分の物語でしかない。

主体的な行動というのは、この「感覚」が突き動かしてくれるもので、常に自分の心が教えてくれるもの。

自分の人生を幸せなものにするのか、他人に委ねて苦しむのかは、全て自分の行動にかかっている。

もう一度よく考え、自分を見つめ直し、行動を改めていくことによって、人生は必ずより良いものへと変わっていくだろう。

最後に

「自分を見つめ直す」という作業を行っていく上で、必ずぶつかってしまう壁となるのが、「責める心」や、過剰なほどの「後悔」というものがある。

自らの行いが災いを引き寄せてしまったとしても、その結果に対してジャッジし、誰かを責めるという意識をまずは解放し、やめてみましょう。

上手くいかなかった時、自分自身が辛くなってしまう理由は、本来自分が持っている「責める」や「裁く」といったものがあるからに過ぎない。

その出来事に対して、「相手が悪い」か「自分が悪い」のどちらかを決定しようとしていると、必ずそれが自分の苦しみとなってしまい、抜け出せなくなる。

それそのものから離れて見つめ直し、誰も悪くはないし、それはただそういった経験をしただけなのだと認識すれば、それは終わっていく。

常に、どの瞬間においても、「次はこうしていこう」ということしか考えなくていいし、これからのことだけに意識を向けてみると、心は楽になる上に、さらに主体的な行動をしていく力が湧いてくる。

終わっていくことは、ただの結果を受け取っていくだけのことであり、さほど意味があるものでもない。

これをしたら嫌な気持ちになったから、これからはこうしよう。

これは楽しくないから、とりあえずやめておこう。

なんだか楽しそうだから、時間がある時にやってみよう。

出来る限り、幸せを感じられる行動をしてみよう。

ただ、毎日のように、毎瞬ごとに、これらの意識と行動を積み重ねていくだけの、シンプルかつ単純な物語を刻んでみよう。

そのうち気が付けば、自分だけの幸せな物語が出来上がってくことを感じられるだろう。

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