外側の出来事に振り回されてしまうのは、心の反応によって生まれた感情で、そのまま行動を起こしてしまうためです。
本当は何も起こってはいないし、自分には関係のないことなのに、何かのアクションを起こしてしまうことによって、無意味に巻き込まれてしまいます。
心の反応と、自分自身の行動をよく理解し、無駄に不幸にならないように、小さなことから訓練していきましょう。
苦しいことや辛いこと、理不尽なことに振り回されていくと、相手が悪い、自分がいけなかった、という終わりのない答えを求めることになり、それが悩みとなっていきます。
他人を嫌うことも、自己否定に陥ることも、いずれも不幸な選択となります。
では、どうすれば幸せな着地点へ到達できるのでしょうか?
心の境界線
他人や環境に与えられるものに影響を受けてしまうと、必ずどこかにひずみが生じます。
誰かの言った言葉によって傷ついているのだとしたら、それは無駄な反応と言えます。
理不尽に怒られていることに、怒りの感情が生まれたり、落ち込んだりすることも、心の反応によるものです。
ただ、互いに違う人間であり、それぞれの世界で生きている以上は、そこには絶対的な境界線があります。
あなたの悪いところを指摘されると、それを正そうと頑張るかもしれませんが、それは苦しい選択です。
指摘をした人には、それがそう見えていて、そう感じているだけです。
そういった人の意見は聞く必要はありませんし、言う通りにする必要もありません。
理不尽に怒っている人に対し、言われた通りに従ったところで、そういった人は再び何かを持ち出して怒り始めます。
怒られたあなたが悪いわけではなく、ただ、その人が一人で勝手に怒っているだけです。
怒りの感情をコントロールできない人は、人格がまだ幼く、無意味に怒っているだけなのですから、無駄にこびへつらったり、ご機嫌をとる必要もないのです。
心の境界線は、絶対に越えることはできないものなので、受け取らなければそれでいいのです。
自分を見ているだけ
外側の世界は、心を映し出す鏡の世界です。
あなたが怒りの感情を抱き続けていれば、周囲は怒っている人たちばかりになります。
あなたが心から喜び、笑顔になれば、世界はあなたに微笑みかけます。
それぞれの心を、外側に映し出しているため、それに対するアクションは何の意味もありません。
自分はもちろん、他者も同じことが言えます。
あなたを否定し、見下すようなことを言ってくる人は、そのうち自分が苦しくなるだけです。
あなたに理不尽に怒っている人は、自分の何かが上手くいっていないことに苛立ち、腹を立てているだけです。
あなたを正そうして意見してくる人は、自分の中に正すべきことがあることに気づいていません。
そんな風に、心の境界線があることと、そこに鏡があることを理解していれば、外側に振り回されず、相手の意見に無駄に反応することはありません。
あなたを含め、全ての人たちが、いつも自分を見ているだけであって、自分自身と対話しているだけなのです。
やりたいことだけやっていればいい
誰の人生も、自由で素晴らしいものです。
もちろん、あなたの人生もあなただけのものです。
誰かの期待に応えるために生きているわけではなく、本当に自己責任を理解して生きている人は、やりたいことだけをやっていきます。
どれだけアドバイスや助言をされても、邪魔をされたり意見されても、あなたがそれに反応しなければ、何も問題はありません。
誰に何を言われようとも、決めるのはいつも自分です。
もっとこうしたほうがいい、お前は何もわかっていない。
どれだけ言われようとも、そこには絶対的な境界線があるため、何の意味もありませんし、何の効力もありません。
あるのはただ、全く別物の意見がそこに存在するだけです。
「やりたくないことも我慢してやれ」
と言われるかもしれませんが、それを選んだ人はそうすればいいし、あなたがやりたくないのであれば、それでいいのです。
議論は人生を無駄にする
どれだけ他人と意見をすり合わせようとしても、必ず同じ答えにはなりません。
共通する正解は存在しないために、どちらかが譲るか、別々の道を共に歩くしかありません。
「どちらが正しいか?」を議論することほど、時間を無駄にすることはありません。
どちらも正しいものであって、それを同じにする必要はないのです。
不幸な時間を減らし、残りの人生で、少しでも幸せな時間を増やしたいのなら、正しさを主張したり、無意味に話し合ったりはしないことです。
「私はこうします」
「あなたはそれでいいでしょう」
全ての会話は、これで終わります。
何も議論する必要はなく、ただ自分の意思をはっきりさせて、その道を進めばそれでいいのです。
意見する人、否定する人、怒ってくる人は、相手にするだけ時間の無駄ですので、軽く受け流して、あなたはあなたの進むべき道を歩み続けましょう。