「何もしない」をしながら生きて行く!

苦しみや辛さ、絶望や挫折。

その先には、一体どんな世界が待っているのでしょうか?

世界には何もありません。

あるのは、自分自身の意識と、それを投影する映像と、反射のエネルギーのみです。

あなたがもし、今が苦しいのであるとしたら、それは一体どうしてなのか?

外側には何をしても無意味です。

感じるべきは心、覗き込むべきはあなたの心の奥底です。

意識が先にあって、それが叶わないことによる不足を感じているのみです。

期待するから裏切りがあり、理想があるから失望します。

常にニュートラルでいる

出来事はいつも、善いも悪いもなく、正解でも不正解でもありません。

過不足なくそれは起こり、それは存在します。

それ以上でもそれ以下でもなく、ただそうだということのみです。

そこに、不足を感じたり、過剰を感じたりするのは、先に自分の意識の中の物差しがあり、それに対するズレを見て、感じているだけです。

期待はせず、理想は抱かず、常にどちらに転ぶのかはわからないと意識していれば、何事もニュートラルで受け取れます。

これが、ゼロの意識であり、ニュートラルポイントからズレない在り方となります。

昨日と今日は違う日で、同じ瞬間は二度とありません。

成功や失敗、正解や不正解といった概念を自分の中から除外しておけば、何が起こったとしても怖いことはありません。

試験に落ちても、それはただ試験に落ちただけです。

お付き合いしていた相手に振られても、それはただ異性の知り合いが一人離れただけです。

会社で解雇をされても、ただ明日からやることがなくて暇になるだけです。

お金がなくても、それはただ「お金」というものを持っていないだけです。

ニュートラルな心を保てば、ただそれがそうであるだけということを受け容れることが出来ます。

何かと比較すると、それは怖れや不安を生み出すだけです。

今置かれている状況がどうであれ、取り巻く全てをニュートラルで受け入れてみましょう。

そうすれば、心は穏やかに楽になっていくはずです。

生きることに価値がある

これまでに沢山のことを頑張ってきた人は、とても素晴らしい努力を積み重ねてきた人です。

それは、賞賛すべき財産であり、誇るべき生き方と言えます。

ただ、その裏側に隠れているのは、「何かをする」=「価値が高い」という意識が強すぎることにより、「何もしない」=「価値がない」といった意識が生み出されているのなら、それが自らを苦しめてしまっている思いです。

人は、何かをすることだけに価値があるのではなく、生きることそのものに価値があるのです。

何かの突出した才能があったり、いつも努力を重ねる人だけが価値があると認識してしまうと、何もしていない時に、わけもなく不安になったり、何かに追われているような感覚になったりもします。

人間誰しも、動く時があれば、止まる時もあります。

また、何かを頑張っている、何もしていないという認識は、これといった線引きは出来ないものです。

「何もしていない」をしている人でも、「何もしない」をしながら一生懸命生きています。

走ることに懸命になる時もあれば、休むことを懸命にやることだってあるし、遊びに夢中になることだってあるのが当たり前です。

何かをしていても、何もしていなくても、さほど変わりはないもので、人はただ生きているだけで価値のある存在なのですから、誰にも咎めることはできず、それら全てを肯定し、生きることそのものを楽しめばいいのです。

人生は何もしなくていい

生きることは、別に何もしなくてもいいし、してもいい。

ただ生きていればそれでいい。

そういった言葉を使うと、必ずそれを否定したり、何かを強要したりする人たちが現れる。

それはそれでいいのだけれど、そんな生き方は苦しくはないのか?ということ。

いつも頑張っていなければいけない人生は、いつ幸せになれるのだろうか?

もちろん、その不幸を体感することが「幸せ」と感じる強者もいるかもしれないが、人間であればそう長くは続かないはずだ。

人は誰しも同じで、いつも楽しく幸せに、楽な生き方をしたいもの。

それなのに、なぜこうまでもみんな頑張ってしまうのか?

疑問に思った時に、その頑張る理由を掘り下げてみていってほしい。

そこには、必ず誰かに認められたかったり、外側を変えようとしている自分自身がいるはずだ。

やりたいことをとことんやりながら、いつもエネルギッシュに生きている人は、「頑張っている」という認識はないだろう。

周囲から見れば、「ものすごい努力」といった風に見えるのだろうが、それは本人は感じてはいないもので、好きでその生き方を選んでいるから、それで幸せだと言うこと。

その真似事をしたり、「頑張ること」そのものを真似るから、目的が「頑張ること」になってしまうのだ。

結局は、みんなが好きなように生きればいいし、やりたいことをやればいい。

それでは秩序は保たれないと思いがちだが、人々がやりたいことを抑制せずに、他人に強要せずに生きていれば、世界は平和になっていくものだと思う。

人生は、特別な何かになるためにあるのではなく、自分として生きることに尽きる。

だからこそ、別に何もしなくてもいいのだ。

「何もしない」ということに不慣れで、まだやったことがないという人は、是非「何もしない」に挑戦してみてほしい。

そうすれば、その意味が心から理解できるようになる。

「何もしない」を選び、そのままでいれば、ありのままの自分で生きられるようになるからだ。

何もせずにただ生きていれば、あとは全て宇宙がやってのけてくれる。

これは、何も他力本願な考えではなく、もちろん自分自身も宇宙の一部であるということも認識させられる。

「何もしない」に価値がなく、それを否定する人がいるのであれば、それは恐らく何もしないことが怖いからだろう。

人生は、何もしなくてもいい。

何もしなければ、全てのことが成るようになっていく。

何かをしようとするから、成せるはずのことも成せなくなり、それが苦しみへと変わっていく。

今が苦しく、辛く、上手くいかないというのなら。

「何もしない」という人生を選んでみてほしい。

そうすれば、必ず全ての意味を知ることになる。

悟りの境地、真の覚醒は、「何もしない」の先にあるのだ。

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*