頑張ることへの疑問

誰も見てないであろうこのブログではありますが、こうした記事は賛否両論あることを承知で、あくまで私なりの考えだということで書き綴ります。

今回は、長年抱えていた疑問、もしかしたら多くの人たちも抱えていながらも、口に出せないでいたことかもしれない疑問。

「頑張る」ということへの解釈、認識、そしてそこに生まれる疑問についてです。

全宇宙の中の小さな戯言だと思いながら、楽しんでいってみて下さい。

色んな時代を重ねていって、超高速とも言える速さで物事が過ぎ去っていく現代社会。

情報量ってのはものすごいらしく、毎日何千倍って速さで増幅しながら発信され続けているらしい。

そんなものをいちいちキャッチして反応していたら、頭がおかしくなって当然のこと。

でもさ、あらゆる可能性、色んな選択肢があるのだと知ってしまえば、楽しいほう、楽な方へ動いていってしまうのは当たり前のことだと思うんだ。

そこで出てくるのが、「頑張る」ということへの疑問。

これは、今のような時代にならなくても、恐らく幼い頃から思ってたこと。

もちろん、「頑張りたい」という熱意、情熱があって、その努力さえも楽しいっていう意識の状態なら、それはとても素晴らしいことだし、輝いてみえるもの。

でもね、「頑張ること」=「凄いこと」ってのはなんか違うと思うんだよね。

努力を沢山積み重ねて、好きなことやりたいことへ、寝る間も惜しんで没頭している人たち。

そういった人を、客観的に見て「頑張ってる」って表現したりしてるからおかしくなると思うんだ。

たぶん、そうやって生きてる人って「頑張ってる」って認識はないわけだ。

ここから、他人同士の比較みたいなのが始まって、「だからあなたも頑張って」とか、「オレも頑張らなきゃいけない?」みたいなのが生まれてくるわけだ。

ここで疑問にぶつかるから、一度踏みとどまってみるべきところだと私は思う。

努力して輝ける人を見て、「すごいな」「ありがとう」「私はこれをやってみる」だけでいいんじゃないかな?

好きなことを始めると、それが楽しくて仕方がないよね?

それに費やす努力もついでに楽しくなるよね?

だから、別に頑張ってはないわけだ。

それはどんなことでも同じだと思う。

仕事をすること、勉強すること、学校へ行くこと、部活をやること、趣味を続けること、デートをすること、飲み会に参加すること、人とはなすこと、ごはんを作ること、犬の世話をすること、庭の手入れをすること。

そういったこと全部。

頑張りはじめたら、それはもう終わってると思う。

「やりたい」「楽しい」「嬉しい」「面白い」

って感情はどこへ行った?

あらゆる場面で、この頑張るが大切なことを見失わせて、本来の目的を歪めていってる気がする。

それをすることが好きなのか?

頑張ってる自分が好きなだけなのか?

そこらへんはよく自分のことを理解しておいたほうがいいなって思った。

頑張るって何?

そもそもそんなのあるの?

楽しいからやってみて、面白いから続けたい。

達成感があるからやめられなくて、感謝されるからまたやろうって思う。

私なりの独り言。

頑張るへの疑問でした。

ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

あなたの明日が、善き日となることを祈っています。

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*