悩みや問題、試練や課題が目の前に見えている時、どうしてもそれをどうにかしようと考えてしまいます。
問題を解決しようとして、アレコレと策を講じてアプローチをかけてしまうものです。
しかし、本当はそれでは根本的な問題は解決されないものなのです。
問題や試練を解決しても、何度も同じことが繰り返されていくはずです。
まずは、そのことに気づかなければいけません。
なぜそれが起こるのかも大切ですが、どうしてそればかりに目が行くのかという、根本的なことに焦点をあててみて下さい。
問題があると感じているのは、それを見ている側、観察者側にあるということです。
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問題があると感じている時
そこに問題があり、それが悩みとなって、解決したくなるのはどうしてなのでしょうか?
確かに、ある程度まではアクションすることによって改善できます。
しかし、その方法ではどこかで必ず頭打ちになります。
問題があると感じるというのは、不足が見えているということです。
それがおかしいことのように見えている時は、観察者である人がそちら側へ意識がシフトしている状態を表しています。
それが、自分であれ他人であれ、そのことにまず気づかなければ、何度でも問題が現れる、不足を感じる、悩みがなくならない状態が続くということです。
まず、その問題に囚われるのではなく、そう感じているということに気づくことからです。
問題を解決しない
その悩みや問題を解決しようとすればするほど、問題は大きく膨れ上がっていきます。
また、一時的に解決できたとしても、再び別の問題が目の前に現れてきます。
どんな状況であっても、必ず両極があるものなので、どれだけ出来ていないところを埋めようとしても、終わることはありません。
問題解決に取り組み続けることは、完璧を求めていくことです。
問題のない世界、理想とする完璧な状態は、絶対に存在しないものです。
出来ることに力を注いでいく
いくらやっても解決できないでいるのは、受け入れることが出来ていないからです。
出来ているところがあれば、出来ないところがある。
満たされているところがあり、不足しているところがある。
それらの両極があってバランスを保つ世界で、全てを均一に、統一していくことは不可能なことなのです。
問題は解決するのではなく、それはそういうものなのだと受け入れること。
それは当たり前のことなのだと解釈することです。
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完璧な世界
どうしても不足を埋めたくなる、問題を解決したくるなるというのは、それを感じている観察者側が、完璧を理想としているからです。
しかし、その観察者が思い描く完璧な世界は存在しません。
真の意味で完璧である状態は、目の前に既にあります。
右に行けば左には行けない。
出来たら出来ないことがある。
片側を高くすれば、もう片側は低くなる。
それが完璧な状態、完璧な世界です。
それはそういうことであって、そういうものであって、それが普通のことだと受け入れると、問題はどこにもないと感じられるようになります。
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生きる世界
自分の中で、どうしても追いかけてしまう理想の世界は誰にでもあります。
その世界の中で生きて行きたいと思うのなら、問題や悩みを解決しないことです。
白と黒がある世界で、全てを白に染めようとすることも、黒に染めようとすることも同じ意味でしかなく、それは出来ないことです。
問題解決というのは、現実へのアクションであり、変えられないところへのアプローチです。
両極あるのが当たり前の世界で、その世界をいくら変えても同じことの繰り返しです。
生きる世界を変えたいのなら、自分がその世界を選択し、そちらを見て、それを感じ、そこに居ればいいのです。
白と黒がある世界を白に染めよう、黒に染めようとするのではなく、白い世界に生きたいのなら、白いところだけを見て、黒い世界に生きたいのなら、黒い所だけを見ればいいのです。
問題を解決するのではなく、何を選び、何を信じて生きるのかだけです。
出来たこと、善いところ、好きなところを見ればいいのです。
そうすれば、理想とする世界、好きな世界は自分の目の前に広がっていきます。