無価値感を脱ぎ捨てよう!

長い間、あなたを苦しめてきたのは、「何もしないこと」に対しての無価値感ではないでしょうか?

ただそこにいるだけでは無価値であると認識することは、何かをしている時だけに価値があるということ。

それが、あなたを傷つけ、他人を傷つけ、再びあなたを傷つけて苦しめていたのではないでしょうか?

確かに、「何もしないでいること」というのは、とても難しいことでもあります。

だからといって、休んではいけないというのは、互いに苦しい世界を築き上げていくだけです。

なぜ私たちは、ここまで「当たり前」の基準を上げてしまったのでしょうか?

「頑張ること」は素晴らしいことかもしれませんが、とことんやり切れる人たちは、「頑張っている」という認識はありません。

その、「頑張っている状態」が平均ライン、ニュートラルな位置だとしてしまうと、休んでいる=怠けているという価値観が生まれます。

これが、私たちを互いに苦しい関係性にしてしまった要因ではないでしょうか?

頑張らなくてもいい

「頑張らなくてもいい」という言葉を口にすると、必ずといっていいほど「怠けている」「やる気がない」「気合が足りない」などと言われてしまいます。

しかし、休むところ、支えてもらう場所、癒されるものがなければ、力が発揮できなくなるのは当然です。

頑張ることは素晴らしいことですが、頑張っている状態がスタンダードになれば、とても苦しい基準が出来上がってしまいます。

また、そういったことを他者へ強要してしまうと、誰もが生き辛さを感じてしまうことになります。

頑張らなくてもいいから、出来ることを出来る範囲内でやればそれでいい。

それがフラットライン、ニュートラルポイントとしての基準でなければ、破綻してしまうのは当然です。

「頑張っている時点で終わっている」という言葉を残している方もおられました。

これは、とても的を射た言葉です。

学校では不登校の生徒が増え、会社でもうつ病や自殺者が増え、40代でも引きこもりになっていく。

こういった現象が全てを物語っています。

もう、これ以上に頑張らなくてもいいのです。

頑張るの競争をするから、足元から崩れてしまうのです。

生きてるだけでまるもうけ

「生きてるだけでまるもうけ」と言っていたのは、幼少期にとても苦労をして生きた「明石家さんま」さんです。

この言葉の意味する通り、私たちは今ここに生きているだけで十分価値のあることなのです。

世のため人のために働き、仲間たちとともに汗を流し、励まし合いながら生きて、おいしいごはんを食べて、お風呂に入って眠る。

全ての感覚を感じられることが、生きている証であって、何もしていなくても価値のある存在なのです。

優秀であること、力の強いこと、賢いことだけに価値を見出せば、同じように出来ない人たちは無価値なのでしょうか?

あなたは価値のある存在です。

例え学校に行っていなくても、働いていなくても、外に出られなくても、今生きているだけで、近くの誰かを幸せにしています。

あなたが毎日を笑顔に過ごすだけで、あなたは価値のある存在であり、幸せを与える人として認められているのです。

幸せであれ

日常の中で、幸せはいくらでもころがっています。

高いことを望まず、多くを求めず、幸せの数を数えてみて下さい。

あなたは既に幸せなはずですし、そんなあなたと共に生きられる人もまた、幸せです。

あなたはもう何もする必要はないのです。

これ以上に力をつけたり、賢くなったり、違う何かになろうとしなくても大丈夫です。

あなたはあなたのままで、十分に価値のある存在なのです。

何もしていなくても、無価値ではありません。

幸せに生きているだけで、無限の価値を与える存在となれます。

どちらかが価値があって、どちらかが無価値という概念を捨てて下さい。

どちらへ行こうが、あなたはあなたでしかありませんので、あなたの価値は変わりません。

人は、生きている限りは無価値になることはありません。

幸せに生きてみましょう。

目の前にある日常を愛し、あなたがあなたという存在を愛して下さい。

今日一日が、幸せな日になることを祈っています。

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