この世界にはやっぱり自分しかいない気がする

バシャールの真似事なわけではないのですが、たまにふと思ってしまうんですよね。

何をどう考えても、全ては自分。

そして、自分の心の中しか存在していないって、思ってしまいます。

色々なことが毎日のように起こりますが、結局は「自分」というところへ帰還してしまいます。

この記事を読んで下さっているあなたも、あらゆるところで学んできたことでしょう。

鏡の法則ってことは、外側にいるのは自分?

因果応報があるのなら、やっているのは自分?

軸があるとするのなら、それは自分?

他人は自分?

そして自分は自分?

てことは?

この世界には誰もいない

ここで、バシャールと同じ感覚へと辿り着いてしまいます。

外側はどこを見ても自分であって、内面を覗くとそこにも本当の自分がいる。

その自分さえも、ここにいるのかどうかすらわからない。

いるようでいないし、いないようでいる。

そのさらに奥深くに進めば、魂と呼ばれる存在、意識のようなものしかないことになります。

わけのわからないことを言っていると思われそうですが、最終的にはそうなってしまうんですね。

つまり、この世界には誰もいなくて、意識があるだけってことになっちゃうんです。

とまあ、これも私の創り出している世界ですから、そうだと思えばそうなのでしょうね。

無限の可能性が広がっていく

私が大好きで読んでいた漫画「バガボンド」でも、同じような物語をたどります。

恐らく、井上先生も、何かを体感してきたのではないかなと思っています。

というのも、私の勝手な解釈でしかないのですが。

バガボンドで、「お前は無限じゃろう?」と告げられる場面があります。

これは、精神世界の広がりを意味していて、現実世界を自ら狭いものにしていることを告げています。

ものすごくしっくりきて、腑に落ちるというやつです。

外側の世界に囚われて、振り回されてしまうと、世界は瞬時に狭くなります。

また、一度ここにつかまってしまうと、簡単に抜け出せなくなって、あらゆる可能性を失います。

こうなってしまう原因は、怖れによるもので、この世界には誰もいないことに気づいてしまえば、何もかも受け入れることができるようになりますね。

偉業を成し遂げている稲森和夫さんも、「心」という書籍で似たようなことを書かれています。

全ては心が見せているもので、三次元の映像のようなものを体感しているだけなのかもしれません。

何にも考える必要はなかった

外側の世界は、いつも自分を止めようとして、遮ろうとしてきて、否定をしてくるように感じます。

ですが、それはもう一人の自分の声でしかなく、やっぱり自分と会話しているだけなのですね。

スタジオジブリの「魔女の宅急便」でも、最初はジジと会話していたのに、声が聞こえなくなります。

これを「必要がなくなった」という表現として描かれていて、ずっと自分と対話していたことにキキが気づき、聞こえなくなったという設定で終わっています。

この状態になることが、生きる強さを得たということで、もう誰に問いかけることもなく、自分に許可を出すことができ、自信が持てる状態になったことを意味しています。

てことは、最終的な結論は、誰にも聞かなくていい。

自問自答もしなくてもいい。

故に、考えなくていい。

というたったひとつの答えに辿り着きます。

どうせ自分しかいないんだから、全てを許し、全てを肯定し、邪魔する者は誰一人としていないということ。

外側にある正しそうな答えに従うのではなくて、生きたいように生きれば、何の問題もないのかもしれません。

と、長々と書いてしまいましたが、この世界にはやっぱり自分しかいないってつくづく思うというお話でした。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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